城の裏門をくぐり抜けると、視界が一気にひらけました。目の前に広がっていたのは、石やレンガの町ではありません。地面から天へとそびえ立つ、無数のガラスと光の柱の都市でした。
頭上では雨が降っているのに、地面は不思議なほどサラサラに乾いています。
町の住人たちが道端で言葉を交わすと、その声がキラキラとした光の粒になり、近くの光の柱をスルスルと登っていきます。そして高い空中で、くっきりとした文字になってピタリと止まりました。通りかかる誰もが、その文字を見上げて読むことができます。
ソラは口を開けて見上げていましたが、通り沿いの靴屋のショーウィンドウを見た瞬間、つい大きな声で呟いてしまいました。
「うわっ、この店のスニーカー、ボロボロなのに高すぎ! 完全なぼったくり店じゃん!」
その声は、あっという間に光の粒になって柱を駆け登り、空中に巨大な文字で固定されてしまいました。
「えっ!? ちょ、ちょっと待って! 今のなし! なしにして消して!」
ソラは必死に手を伸ばして飛び跳ねましたが、空中の文字には指1本届きません。通りを歩く人たちが空を見上げ、「あの靴屋さん、そんなにひどい店なのかしら」とヒソヒソ噂し始めました。店の奥からは、靴屋の店主がひどく傷ついた顔で外を見ています。
一度言ってしまった言葉や文字は、なぜ自分の手で消すことができないのだろう?
パニックになったソラは、台車のイチにすがろうとしました。
「イチ! 空中の文字を取り消す文を作って! 『さっきのは嘘で、あの店は悪くない』って文章を出して、あの文字を上書きしてよ!」
ですが、イチは静かに首を横に振りました。
「できません。取り消しの言葉をいくら上書きしても、一度放たれた光の文字を『最初から無かったこと』にはできません。すでにそれを見上げた人たちの記憶や噂を、遠隔から消去する機能は存在しないのです」
ソラは青ざめました。ネットやSNSと同じです。手元の画面でどれだけ「削除」や「取り消し」を押そうとしても、一度誰かに届いてしまった言葉は、もう自分の手では戻せないのです。
リンが、ソラの肩に手を置きました。
「ソラ。光の柱に向かって取り消し文を送っても、ごまかしにしかならないわ。あのお店に行って、自分の口で本当のことを確かめて謝ろう」
ソラは逃げ出したい気持ちをこらえて、靴屋の扉を開けました。
「ごめんなさい! ぼく、さっき変な悪口を叫んじゃいました……!」
店主は驚いた顔をしたあと、棚から1足の靴を手に取ってソラに見せてくれました。
「いいんだよ、ぼうや。確かに古びて見えるよな。でもこれはね、険しい岩山を何十年も登る人のために、特別な油をしみこませた革を、手縫いで何重にも縫い合わせてあるんだ。新品でもピカピカには見えないけれど、絶対に壊れない靴なんだよ」
ソラは自分の胸に刺さるものを感じました。遠くから表面だけを見て、何も確かめないまま「ぼったくり」と決めつけてしまったのです。
「……ごめんなさい。何ひとつ確かめもしないで、ひどいことを言いました」
心からの謝罪に、店主は優しく笑って頷いてくれました。空中の文字は消えませんでしたが、ソラの誠実な態度と店主の笑顔を見て、町の人たちも噂するのをやめてくれました。
リンはポケットから手帳を取り出し、力強い筆跡で書き留めました。
「一度外へ出た言葉は、手元を閉じても消えない。発信するときは、誰に見られても恥ずかしくないか、本当のことかを確かめる。」
一度放たれたデータは、世界中に残り続けます。だからこそ、発信するときは感情に任せず、立ち止まって確かめるブレーキが必要なのです。