三月二十三日 経理課

判断会議を一週間後に控えた朝、経理課長が瀬尾の席に来た。

「月末の集計に、毎月まる2日かかっています。AIで何とかなりませんか。各部で何かやれと言われていますし、うちからも1件は出したいので」

瀬尾が頼むと、倉田は翌日、担当者に先月の集計を同じ手順でなぞってもらい、1日横で見た。夕方に届いたメモは3行だった。

倉田のメモ(経理課 月末集計)

2日のうち大半は、販売管理・会計・出荷管理の3つのシステムの画面から数字を書き出し、表計算に貼る作業。集計そのものは関数で数分。判断の要る作業はない。

「3つのシステムの書き出しを、毎晩決まった時刻に走らせる設定を足します。朝には表計算で読める形で共有フォルダに置いておく。AIは要りません」

「……助かります。でも、これだとAI活用の報告には載りませんね」

「載りません。今月末の集計で何時間減ったかを測って、その数字を載せましょう」

経理課長が戻っていくと、倉田はメモを畳んだ。

「AIでやりたい、って来たら、まず1日横で見るんだよ。入力を減らす、書式をそろえる、マクロで済ます。それで済むなら、そっちが安いし、直すのも楽だ」

そのあと、瀬尾は年頭挨拶の一言を思い出していた。各部で、何かやれ。目標が「何か」のままだと、報告は「何件やったか」になる。件数では効いたかどうかが分からないから、測るのは後回しになる。測っていないものは、止める理由も作れない。経理の集計は、その道の入り口で引き返せた。業務を1日見てから、手段を決めたからだった。

三月二十六日 大会議室

判断会議の前に、大槻は三者の話を一度に聞くことにした。瀬尾の手元には、先週作った質問リストがあった。最初はクラウゼルの黒江だった。

「弊社のソリューションですと、コネクトAIアシストに問い合わせ対応を統合し、全社で年間契約いただくのが最も効率的かと存じます。全部署で同時に始めるのが、業界ではもう常識で」

「全社で使って、何がどれだけ良くなったかは、どう測りますか」

「利用者数と活用件数で、定着の度合いをご報告いたします」

利用者数も活用件数も、使った量だった。業務が良くなったかどうかは、その中に入っていない。

大槻が意見を聞きたいと呼んだ一条は、全社のAI戦略を3年がかりで作る顧問の提案を持ってきていた。

「断言します。三年後には、問い合わせの窓口に人はいなくなっています。いま一部門で小さく始めるのは、遅れるのと同じなんですよ」

大槻は、一月の講演のときほどには、うなずかなかった。岸本の資料は、今度も3枚だった。

「CS課のメールの回答案だけです。送信は人。毎月、同じ5つの数字で測ってご報告します。全社に広げて効くかどうかは、うちでは検証していないので分かりません」

「小さく始めて、いつ、何を見て止めますか」

「三か月後に、確認を含めた1件あたりの時間と、誤った案内の件数で見ます。基準は御社と決めたいです。届かなければ、止めるご判断に従います」

質問リストの最後の行を、瀬尾は思い出していた。「分かりません」は減点しない。分からないところを分からないと言う相手の数字なら、あとで実績と照らし合わせられる。

会議のあと、大槻は廊下で瀬尾を呼び止めた。

「正直に言うと、全社のほうが社長には説明しやすい。一部門では、小さすぎないか」

「三十日に、稟議書でお答えします」

三月二十七日 カスタマーサポート課

瀬尾は村瀬の課で、4週間の試行の記録をめくった。確認を含めた時間は、三月の試行対象外の同種案件より短くなっていた。差は、経営会議に上がりかけた3割よりずっと小さい。誤った案内の送信は0件。送る前に止めた1件は、今井のA-125だった。その1件は、記録の上では「使えなかった」の一つに数えられているだけだった。

「今井さんが何を見つけて止めたかは、どこにも残っていないのよ。わたしの記憶の中だけ」

「欄を2つに分けませんか。AIの案と、担当者が確かめた結果。食い違ったら、何が違ったかを1行書く。そうすれば、止めた1件が、そのまま精度の記録になります」

「確かめたのが誰かも残るわね。お客さんに何かあったとき、AIがそう書いたから、では済まないもの」

その夜、瀬尾は倉田と2人で稟議書を書いた。製品の名前が出てくるのは、終わりのほうになった。

稟議書 問い合わせ回答案の下書き 本導入(瀬尾)

選んだ順序:何を作らせるか(回答の文面。作るAI)→ 間違えたときの影響(誤った型番の案内は取り返せない。送信は人)→ データの機密度(問い合わせには氏名と電話番号が入る。保存と学習利用の扱いは総務課が契約で確かめる)→ 件数(型番A系が最多。試行と同じ範囲から始める)→ 維持の体制(社内で設定を直せる人は現在0人。2人にすることを条件とする)。製品の比較は、この5つのあとに行った。

投資前の8項目:データの所在と形/対象範囲の割合/確認込みの時間/1件あたりの費用と月の上限/例外の割合/止まったときに手作業へ戻す手順/社内で直せる人の数/入力の区分。答えは別紙。答えられなかった2項目(月の上限の根拠、直せる人)は、四月中に埋める。

人が最終責任を持つ工程:送信の判断は担当者が行う。回答案は「AI案」と「担当者確認」の2列で記録し、確認した担当者の名前を残す。

運用の最小限:月次の5つの数字(対象範囲の割合・確認込みの所要時間・1件あたりの費用・例外の発生率・直せる人の数)/モデル更新の通知は汀システムから倉田へ/入力と出力の記録を残す/参照する手順書の更新はCS課が月1回。

目標と基準:確認を含めた1件あたりの対応時間を、三月の試行対象外の同種案件より短くする。誤った案内の送信は0件。手段がAIかどうかは問わない。

「製品の名前が最後に来る稟議書、うちで初めて見たよ。『で、それ誰が直すの』が、最初の段落に入ってる」

末尾の余白には、まだ何も書いていなかった。

全社展開と、小さな本導入。瀬尾は何を基準に選んだのだろう?

三月三十日 役員会議室

判断会議には、大槻と各部の部長、村瀬と倉田が並んだ。机の上には3つの提案が並べて置かれ、その横に瀬尾の稟議書があった。瀬尾は稟議書を読み上げ、前の晩に余白へ書き足した1行で止まった。

稟議書 末尾

効果は毎月5つの数字で測る。六月末に基準へ届かなければ止める。

「始める前から、止める話か。六月に止めたら3か月が無駄になる。君の失点にもなるぞ」

「止めても、止めた理由が残ります。前の5件のPoCは、止めたのか続いているのかも分からないまま終わりました。理由が残れば、次の案件でいちばん役に立ちます」

「全社のほうが、話は大きい」

「全社展開にも、同じ5つを順に当ててみました。何を作らせるかは、部署ごとに別物です。間違えたときの影響も、データの機密度もばらばらです。今月、営業で顧客の名簿が公開のサービスに貼られました。件数は、まだ誰も数えていません。直せる人は0人です」

「5つに答えられないまま始めると、良くなったかどうかを利用者数でしか測れず、止める条件が書けません。この一部門なら、確認込みの時間と誤った案内の件数で、毎月分かります。止める条件を先に決めておけば、始める判断ができます」

大槻は長いあいだ稟議書を見ていた。それから、ゆっくりうなずいた。

「CS課の回答案の下書きに限って、汀システムで本導入とする。六月末に、この5つの数字を持ってこい。悪い数字でも、そのままだ」

大槻は稟議書に判を押し、瀬尾のほうを見て付け足した。

「止めることになっても、君の失点にはしない。止めた理由を書いて持ってくれば、それも成果だ」

会議のあと、廊下で村瀬が瀬尾に並んだ。

「最初に『何をするAIか』を聞いてくれたの、あなただけだったわ」

第二会議室に戻ると、ホワイトボードの5つの問いは、一月九日のまま残っていた。倉田が紙コップのコーヒーを2つ置いた。

「来年はもっと大きい話が来るぞ」

「そのときも、同じところから聞くよ」

瀬尾は手帳を開いた。1ページ目には、年頭挨拶の「各部で、何かやれ」と、一月九日の1行がある。この3か月、AIを使ったかどうかが答えになったことは、一度もなかった。答えになったのは、業務の何が、どれだけ良くなったかだけだった。瀬尾は、その日のページに書いた。

「最初に『そのAIは、何をするものですか』と聞き、最後に『業務の何が、どれだけ良くなりましたか』と聞く。AIを使ったかどうかは、聞かなくていい」