一月二十日 役員応接室
一条の講演から四日後、大槻は別の客を呼んだ。クラウゼル・テクノロジーズの営業部長、黒江翔である。瀬尾は、問い合わせ対応の話のところだけ同席するよう言われた。
「カスタマーサポートの効率化でしたら、弊社のソリューションですと、問い合わせの内容をAIが理解して、最適な回答を自動で作成いたします。業界ではもう常識になりつつあるかと存じます」
「うちの窓口は月に2,400件だ。どれくらい楽になる」
「御社の状況を拝見して、3週間以内に具体的なご提案をお持ちいたします」
30分ほどで、瀬尾は次の会議に呼ばれて席を立った。応接室の話がそのあと1時間続いたことを、瀬尾は知らなかった。
知ったのは、月末に総務から届いた全社通知だった。
全社通知(総務課)
二月一日より、全社員向けAIアシスタント「コネクトAIアシスト」の利用を開始します。文章の作成・要約・翻訳などにご利用いただけます。契約期間は1年間(以後、自動更新)です。
総務課の戸田に聞くと、決裁は一月二十日付けだった。あの応接室の日である。何の業務に使うための契約なのかは、通知のどこにも書いていなかった。
二月七日 第二会議室
提案書は二月六日に届いた。約束より早く、表紙は厚く、図はきれいだった。翌朝、瀬尾は倉田と村瀬を会議室に呼び、3人で一ページずつめくった。
クラウゼル・テクノロジーズ 提案書(要約ページ)
AIが問い合わせを自動で理解し、最適な回答を生成。問い合わせ対応工数を最大70%削減。導入実績300社。
導入スケジュール:要件定義 → AI構築(2か月) → 本稼働。費用:一式(別途お見積り)。
AI活用は、もはや業界の常識です。早期に導入した企業ほど、競争優位を確立しています。
「……立派だね」
「立派だな。何も書いてないのに」
倉田は、70%の数字を指で叩いた。
「何の7割なのか、書いてない。問い合わせ全部なのか、メールだけなのか。削減する前の工数を、誰がどうやって測るのかも」
「それに、うちの問い合わせは一通りじゃないのよ」
村瀬は窓口の実態を指折り数えた。4割は電話で来る。メールで来るものも、お客さんが書いてくる型番が、実際に使っている製品と違っていることがある。取付寸法の相談は、図面を開かないと答えられない。
「型番が違うまま、正しそうな回答を返したらどうなるかしら。お客さんはそれを信じて、部品を注文するでしょう」
「そこが一番の設計なんです。AIが自信を持てない問い合わせを、どこで人に戻すか。その受け皿がない仕組みは、分からないものにも答えてしまいます」
倉田は、一月九日から消されずに残っているホワイトボードの隅に、3つの段を書き足した。
ホワイトボード(倉田の字)
- 回答案を作るだけ ― 送るかどうかは担当者が決める
- 条件で振り分ける ― 型番が曖昧なもの、図面が要るものは人へ
- 送信まで任せる
「どこから始めるかは、精度じゃなくて、間違えたときの影響で決めます。間違った型番を案内したら取り返せない。なら一番上からです。この提案書には、3つのどれなのかも書いてない」
読み返すと、瀬尾にも提案書の空白が目に入るようになった。何が書いてあるかより、何が書いていないかのほうが多かった。
同じ日 午後 経営企画部の棚
席に戻った瀬尾は、参考になる資料を探して部の棚を開けた。「AI活用診断 報告書」という背表紙が目に入った。前の年に、経営企画部が一条の事務所へ発注したものだった。
厚い報告書には、全部署の業務の一覧と、それぞれに当てはまりそうな一般的なAIの活用例が並んでいた。問い合わせ対応の欄には「チャットボットによる自動応答」とあった。ただ、どの業務のデータが、どこに、どんな形で残っているのかは、一行も書かれていなかった。
この報告書があれば、次に何が決められるのだろう。瀬尾は考えて、何も決められないと思った。問い合わせの記録がどうなっているかを調べるところから、結局やり直すことになる。
今朝の提案書と同じ形をしていた。書いてあることは間違っていない。空いている場所のほうが、判断に要るところだった。「早期に導入した企業ほど」の一文も、急がなければならない理由を、確かめられる形では書いていなかった。
この提案書の中で、まず確かめるべき「空いている場所」はどこだろう?
同じ日 夕方 第二会議室
3人はもう一度集まり、黒江に送る質問を書いた。瀬尾は、棚で見つけた報告書を机の端に置いておいた。何が書いていないかを確かめるための見本だった。
「『AI構築 2か月』も聞いたほうがいい。AIを呼び出す部分だけなら数日で書ける。時間がかかるのは、止まったときにどうするか、記録をどこに残すか、誰に何を見せるか、月にいくらまで使うか、のほうだ」
「その4つが、工程に一つも書いてないってことだよね」
「あと、回答の材料だな。社内の文書を読ませて答えさせるなら、どれが正しい文書なのかを先に決めないといけない。古い版と新しい版が両方あれば、AIは古いほうを根拠にすることがある」
「過去のメールは、古い回答も新しい回答も混ざってるわね」
倉田は少し黙ってから、付け足した。
「おととし、補修部品の需要予測を試したんです。全然当たらなかった。原因はモデルじゃなくて、欠品の記録がなかったことでした。在庫がなくて出荷できなかった月が、注文が少なかった月として読まれていた。データが現実の何を落としているかを先に見ないと、同じことになります」
黒江さまへのご質問(瀬尾のメール)
- 対象範囲:月約2,400件の問い合わせのうち、どの種類の何割を対象とお考えですか。
- 件数と「70%削減」の測り方:何の作業の時間を、何件について、どう測った結果ですか。精度は何をもって正解とされますか。
- 工程と期間:「AI構築 2か月」のうち、失敗時の動き・記録の保存・権限・費用の上限の設計はどこに入りますか。
- 費用の内訳:初期費用・月額・処理量に応じた課金の別を教えてください。
- 導入実績:300社のうち、いまも本番で動いているのは何社で、稼働から何か月ですか。
- 当社の問い合わせ記録はいまどういう状態だとご理解されていますか。うまくいかなかった場合、原因は何だと想定されますか。
返信は二日後に来た。
黒江さんからの返信
ご質問をありがとうございます。対象範囲は、御社の業務に合わせて柔軟に設定可能かと存じます。削減効果は弊社導入企業さまの実績に基づくもので、精度は業界最高水準でございます。導入実績には、試験導入から本格稼働まで、さまざまなフェーズのお客さまが含まれます。弊社の導入手法では、うまくいかないケースは基本的に想定しておりません。詳細は、ぜひ次回のお打ち合わせで。
丁寧で、よどみがなかった。そして6つの質問のどれにも、数字で答えていなかった。
「『さまざまなフェーズ』ってことは、試験導入で終わった会社も300に入ってるってことだろ。いま動いてるのが何社かは、答えてない」
二月十日 第二会議室
比べる相手がほしい、と瀬尾が頼むと、倉田は小さなベンダーの名前を挙げた。汀システムの技術営業、岸本優は、厚い提案書の代わりに3枚の紙を持ってきた。
汀システム ご提案(3枚目)
範囲:メールの問い合わせのうち、件数の多い型番の1系列から。出力:回答案まで。送信は担当者。測り方:担当者が1件ごとに「そのまま使えた/直して使えた/使えなかった」を記録し、確認にかかった時間を含めて比べる。当社で検証していない部分:御社の過去メールの状態。
「最初は回答案までです。送るのは人。精度は、この形式で測りましょう」
「工数は、どれくらい減りそうですか」
「7割とは言えません。試してみないと分かりません。過去のメールを、数十件でいいので見せていただけますか。そこで最初の数字を出します」
「うまくいかないとしたら、どこだと思いますか」
「たぶん古い回答です。型番の書き方がそろっていないと、似た型番の回答を拾ってしまう。そこは最初の2週間で分かるはずです。うちで検証していない部分は、検証していないと書きます」
村瀬が、瀬尾のほうを見て小さく笑った。
「この人のほうが、うちのメールを見たがるのね」
言い切る提案書には、確かめられることが何も書いていなかった。言い切らない3枚には、範囲と、測り方と、まだ分からない場所が書いてあった。中身があったのは、自信のなさそうに見えるほうだった。
瀬尾は手帳に書いた。
「提案書は、書いてあることより空いている場所を読む。『うまくいかないとしたら、原因は何だと思いますか』」