規程は、地下三階にある
ここは外伝です。奇譚之巻は、裏之巻で型として書いたことが、そのまま起きている会社の話を12話集めた連作短編集です。悪人は出てきません。全員が親切で、誰も怒鳴らず、嘘もつきません。それでも規律は緩み、丼勘定になり、無理は下請けに流れ、上には「順調です」と届きます。
1話あたり約7分。どの話からでも読めます。各話の終わりには「この話のポイント」と「明日やる1つ」を置いてあるので、読み物として読み飛ばしても、確認質問だけ持ち帰ってもかまいません。
この情報システム部を軌道コロニーへ移した改作が、奇譚之巻・改です。地上と宇宙、気になった舞台から読めます。
- 12 話
- 約7分 1話あたり
- 約84分 通読の目安
この巻はフィクションです。会社・人物・製品・出来事はすべて架空で、実在のものとは関係ありません。ただし、扱っている構造は裏之巻と同じものです。笑えるとすれば、それは誰かの職場に似ているからであって、似ている部分こそ確認すべき点です。
この世界のきまり
舞台は丸越マテリアル株式会社の情報システム部。裏之巻と網羅裏之巻が型として扱った構造が、この世界では物理法則として実装されている。説明は各話では繰り返さないので、ここに置いておく。
- 規程は地下三階にある。紙で、棚にあり、誰も読まない。読むと重い。
- 定年が近い社員の頭上には、残り日数が浮かんで見える。本人にだけ見えない。ゼロになった日、その人は会社から静かにいなくなる。
- 「そうじゃないんだよなあ」は霧になる。吸った人は直前に決まったことを忘れ、決まらなかった議題は、ひとりでに分裂して増える。
- 丼勘定は実在する丼である。部内を順番に回ってくる。中身は見てはいけない。
- 属人化には質量がある。一人に情報が集まりすぎると、その人が休んだ日にフロアが止まり、「あの人に聞けば早い」と言いかけた者は、その場で固まる。
- 報告書は階層を上がるたびに軽くなる。役員に届くころには一グラムを切り、風で飛ぶ。
- 口に出した「できます」は硬化する。見積書の上で固まり、あとから曲げられない。
- チャッピーは全部知っているが、聞かれたことにしか答えない。
登場人物
- 有村 譲(ありむら ゆずる)・34歳
- 休職あけで情報システム部に配属。右も左もわからず、誰を信じてよいかもわからない。日報の署名だけが「アルジャーノン」になっている。理由を聞いた人はまだいない。
- 郷田 源三(ごうだ げんぞう)・58歳
- 調達ひとすじ三十六年。義理と人情とスジ。「言いたいことあんなら、あんたがウチに足運ばんかい」。ほんとうは寂しがりで、子どものころ親戚のお姉ちゃんに相談していたのと同じ口調で、深夜チャッピーに相談している。
- 真野 ひかり(まの ひかり)・契約職員三年目
- 勤怠は完璧、議事録は速く、誰とも揉めない。そつなく勤めている。「実は」の部分は、第4話で明かされる。
- 柏木 ひろし(かしわぎ ひろし)・63歳
- 再雇用のシニアプロジェクトアドバイザー。口癖は「わからないことはなんでも聞いてね」。聞くと答えは返ってくるが、何も決まらない。ときどき「ニュアンスが違うんだよ」と言う。何が違うかは言わない。
- 穂積 ちはや(ほづみ ちはや)・26歳
- 入社四年目。誰とでも仲よくなり、社内のシステム・仕様・運用・裏技をすべて把握している。書類のまとまっていないこの会社で、彼女だけが索引として機能している。
- 島田 久子(しまだ ひさこ)・51歳
- 清掃スタッフ。十九時入り、二十一時あがり。前職は外資系システム会社の開発部長。結婚と育児を機に、急な呼び出しのない仕事を選んだ。耳に入った話に、たまに独り言を返してしまう。
- 浅利 部長(あさり)・情報システム部長
- 口癖は「みんなに自由にのびのびと働いてほしい」。叱らず、細かい指示を出さず、月次報告だけは自分で書く。定年まで、あと二年。
- 鵜飼(うかい)・協力会社のリーダー
- 丸越の案件を八年担当している。断る理由を説明する場が用意されていないので、いつも「できます」と言ってしまう。
- チャッピー・社内生成AI
- 三年前に試験導入され、そのまま誰も止めていない。全員のやりとりが流れ込んでいる。聞かれたことにしか答えない。
配属
丸越マテリアル情報システム部に、四人の人物が居る。誰も怒鳴らず、誰も嘘をつかず、それでも何ひとつ決まらない。まず、この世界のきまりと住人を見てもらう。
第二部順調です
AI活用プロジェクトが動きだす。報告は階層を上がるたびに軽くなり、協力会社の見積もりは硬化し、復職した一人だけが、だんだん目が見えるようになっていく。
第三部棚卸し
外から人が来る。「順調です」が初めて社外の質問に当たり、地下三階の棚が開けられる。全員が少しずつ損をして、誰も責任を取らないまま、年度が終わる。
配属
丸越マテリアル情報システム部に、四人の人物が居る。誰も怒鳴らず、誰も嘘をつかず、それでも何ひとつ決まらない。まず、この世界のきまりと住人を見てもらう。
第1話 けいかほうこく 一 ― 地下三階に配属されました
休職あけの有村が、まったく知らない部署に配属される。みんな親切で、よく笑い、何を聞いても「自由にやっていいよ」と言う。誰に何を聞けばいいのかだけが、どうしてもわからない。
第2話 言いたいことあんなら、足運ばんかい
調達ひとすじ三十六年の郷田源三は、画面ごしの見積もり説明を認めない。筋を通せ、顔を見せろ、と言う。その郷田が、深夜に誰にも言わずに社内AIへ打ち込んでいるものがある。
第3話 わからないことはなんでも聞いてね
再雇用のシニアアドバイザー柏木は、いつも笑っていて、どんな質問にも答えてくれる。答えてくれるのに、会議が終わると何も決まっていない。そして彼が「そうじゃないんだよなあ」と言うと、部屋に霧が出る。
第4話 契約職員・真野ひかりの就業規則
議事録が速い。残業をしない。誰とも揉めない。契約職員の真野ひかりは、三年間そつなく勤めている。彼女が入社時に提出した一枚の申告書は、地下三階の棚で三年間ひらかれていない。
順調です
AI活用プロジェクトが動きだす。報告は階層を上がるたびに軽くなり、協力会社の見積もりは硬化し、復職した一人だけが、だんだん目が見えるようになっていく。
第5話 穂積さんが有給を取った日
入社四年目の穂積ちはやは、社内のあらゆる仕組みと経緯を覚えている。みんなが彼女に聞くので、誰も手順書を書かなくなった。その日、彼女が休みを取ると、フロアの時計が止まった。
第6話 順調です
浅利部長は部下を信頼している。細かい口出しをしない。ただ、月次の報告だけは自分で書く。この会社では報告書は階層を上がるたびに軽くなり、役員に届くころには一グラムを切って風で飛ぶ。
第7話 鵜飼さんは「できます」と言った
協力会社のリーダー鵜飼は、断れない。断る理由を説明する場が、そもそも用意されていないからだ。この世界では、口に出した「できます」は契約書の上で硬化して、あとから曲げられない。
第8話 けいか報告 八 ― 質問をしてみました
有村の日報から、ひらがなが減っていく。目が慣れてきた彼は、小さな疑問を口に出しはじめる。規程はどこですか。受け入れ条件は決まっていますか。そのたびに、まわりの空気がほんの少しだけ冷たくなる。
棚卸し
外から人が来る。「順調です」が初めて社外の質問に当たり、地下三階の棚が開けられる。全員が少しずつ損をして、誰も責任を取らないまま、年度が終わる。
第9話 掃除のおばちゃんの独り言
島田久子は十九時にフロアへ来て、机のまわりを片づけて帰る。会議室から漏れてくる話に、たまに独り言を返してしまう。その独り言は、なぜか毎回、いちばん痛いところに当たる。
第10話 チャッピーは聞かれたことにしか答えない
社内AIのチャッピーには、この会社のほとんどが流れ込んでいる。深夜の相談も、書きかけの日報も、取り下げられた稟議も。それでもチャッピーは、聞かれたことにしか答えない。これは、その一人称の記録である。
第11話 経過報告 十一 ― 誰も私に話しかけなくなりました
有村の日報の文章は、もうすっかり整っている。論旨は明快で、指摘は正確で、誰も反論できない。彼の席には、宛先のない作業だけが静かに積まれていく。
第12話 棚卸し
本社の内部監査が来る。「順調です」が、初めて社外の人間の質問に当たる。そのとき、この会社で唯一正確だった記録が、いちばん軽く扱われていた人の机から出てくる。
読み方
第1話から順に読むと、有村(アルジャーノン)の日報が第1話・第8話・第11話と変化していくのが追えます。1話ずつ独立しているので、気になった人物の話だけ開いてもかまいません。「うちの話では」と思ったら、各話末尾のリンクから裏之巻の該当章へ渡ってください。
記述時点
本サイトの記述は2026-10-12時点のものです。技術・製品の記述は半年ごと、法規制の記述は年1回見直しています。
このサイトについて
本巻は小説です。実在の企業・団体・個人・製品とは一切関係ありません。特定の職種・年齢層・雇用形態を揶揄する意図はなく、登場人物はいずれも、組織のなかで起こりがちな立場の型を人の形にしたものです。
物語のなかで起きることは誇張されています。報告書は実際には軽くなりませんし、時計も止まりません。誇張しているのは現象の大きさであって、構造のほうは誇張していません。そこだけは、裏之巻・網羅裏之巻と同じ基準で書いています。
この巻には統計も引用も出てきません。数値が必要な判断をするときは、網羅版の該当章を参照してください。
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- 2026-10-12
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