三月五日 営業会議

営業会議の最後に、10分だけ若手の発表が入っていた。営業本部長を兼ねる大槻が、自分で差し込んだ議題だった。推進担当として呼ばれた瀬尾は、いちばんうしろの席に座った。

「見積書、これで3分で作れるっす。取引先と型番と数量を入れるだけなんで」

営業部二年目の小野寺蓮が、画面を映した。取引先を選び、型番と数量を入れる。単価表から単価が入り、見積書の書式が埋まり、添え状の文面まで生成AIが書いた。画面が切り替わるたびに、会議室がざわついた。

「コードも生成AIに書かせたんで、作ったのは週末の2日っす。めっちゃ便利なんで、みんな使ってください」

拍手が起きた。二年前に無料版で懲りたと言っていた営業部長まで、手を叩いていた。

「二年前に試したのとは別物だな」

「こういうのを待っていたんだ。社内報に出してもらおう」

瀬尾も拍手をした。夜中まで資料を作っている営業の話が、少し変わるかもしれない。ただ、手帳には問いをひとつだけ書いた。これは、誰が直すのだろう。会議室の誰も、それを口にしなかった。

三月九日 情報システム課

社内報 三月号

若手がAIで業務改革 ― 営業部の小野寺蓮さんが、生成AIを使って見積書の作成ツールを自作した。1件あたりの作成時間は3分に。小野寺さんは「AIで何でもできますよ」と話す。

記事が出ると、小野寺のもとに依頼が集まり始めた。経理からは月次の集計、総務からは備品の申請、第二工場からは日報。依頼はどれも小野寺に直接届き、情報システム課には一件も来なかった。

三月九日の夕方、瀬尾は倉田に呼ばれた。経理から「小野寺くんのツールを、うちでも使えるようにしてほしい」と頼まれ、中を開けたのだという。

「よくできてるよ。二年目が週末で作ったとは思えない。ただ、5つ引っかかる」

倉田のメモ(見積書作成ツール)

  1. 添え状を書かせるとき、顧客名と単価を、小野寺の個人アカウントで公開のチャットサービスに送っている
  2. 画面を開くのに認証がない。アドレスを知っていれば、社内の誰でも、異動した人でも開ける
  3. 入力を確かめていない。数量に文字を入れると、合計が空欄のまま見積書ができる。実データで試したのは小野寺の担当先だけ
  4. 単価表のある共有フォルダのパスワードが、コードに直接書いてある。動かし方は小野寺の手元にしかない
  5. このツールが、どこで何人に使われているのか、作った本人も含めて誰も把握していない

「パスワードが変わったら止まる。しかも、コードを見た人には全員に読める。で、それ誰が直すの」

「小野寺くんしか、いないよね」

「経理の本当の依頼は、別の話だった。営業の月次の数字と経理の数字が合わないから、AIでそろえてくれって」

倉田が調べると、営業部も経理も第二工場も、それぞれ自作の集計ツールを持っていた。営業は受注日で月末締め、経理は請求の二十日締め、工場は出荷日で月末締め。締め日の扱いが3通りあった。経理課長が前に「その数字の前提は何か」と聞いたとき、小野寺は新しいモデルの話をしたらしい。

「3つとも正しく動いてる。前提が違うだけだ。画面のいちばん上に『何日締め、何の日付で数えたか』を1行出しておけば、5分で分かった話だよ」

三月十一日 応接室

一条隼人が、ふたたび大槻を訪ねてきた。瀬尾も同席を求められた。

「先日、社外の勉強会で御社の小野寺さんにお会いしましてね。『社内DXの第一人者』だと自己紹介されていた。ああいう若手がいる会社は強いんですよ」

瀬尾は、その肩書きを初めて聞いた。社内報のあと、依頼は小野寺に集まり、答えも小野寺から出ていた。うまくいった話は聞こえてきたが、うまくいかなかった話は一つも聞こえてこなかった。総務には「規程もAIで作り直せますよ」と言ったらしい。悪気はないのだろう、と瀬尾は思った。頼られ続ければ、範囲の外の質問にも答えるしかなくなる。

一条は、提案書を机に置いた。

「若手AI人材育成研修」ご提案(表紙と最終ページ)

AIネイティブ人材の育成で、全社の業務をAIで最適化。自律型エージェントとマルチモーダル基盤を体系的に習得。
※今期の特別枠は、三月末までのお申し込みに限ります。

「断言します。小野寺さんのような人を、半年で20人育てられます。大手はもう、全社で始めているんですよ」

一条は、受講生が作ったという業務アプリをノートパソコンで動かしてみせた。どの会社の、何件のデータで動いているのかは、言わなかった。

「三月末か。小野寺が20人いたら、話が早いな」

「常務、お返事の前に、一条さんにお聞きしたいことがいくつかあります。書面でお送りしてもよろしいですか」

大槻は少し眉を寄せたが、うなずいた。

小野寺のツールは、何ができていて、何が決まっていないのだろう?

三月十二日 営業部の小会議室

小野寺は、呼ばれた理由を察していた。瀬尾と倉田、それに営業部長が座る部屋に入ると、先に頭を下げた。

「すみません、なんかまずかったっすか」

「責めに来たんじゃないの。このツールを使い続けられる形にしたいから、5つ聞かせて」

一条に送るのと同じ5問だった。

「1つ目。このツールのうち、小野寺さんが自分で手を動かしたのはどこまで?」

「画面の流れと計算の順番は自分で決めました。コードはほぼAIっす。パスワードの扱いとかは、正直分かってないっす」

「2つ目。会議のデモは、何件の、どこのデータ? 3つ目。見積もり全体のどれくらいが対象?」

「自分の担当先の12社っす。対象は標準品だけで、特注品と値引きのある案件は入れてないです。……件数なら半分くらいかも」

「4つ目。うまくいかないとしたら、原因は何になりそう?」

「ないと思……いや。単価表が改定されたら、たぶん古い単価のまま出ます」

「5つ目。同じことを別の方法でやるとしたら? それを採らなかったのはなぜ?」

小野寺は少し黙ってから、答えた。

「正直、表計算のマクロでもできます。単価を引いて書式を埋めるところはマクロで足りるし、単価表を外に出さなくて済みます。ただ、添え状は定型文になるし、型番が増えるたびに表を直す人が要ります。AIで作ったほうが話題になるかなって」

営業部長が、はじめて身を乗り出した。

「それを先に言え。弱いところまで分かってるなら、安心して任せられる」

瀬尾はホワイトボードに5つの欄を書き、小野寺と一緒に埋めた。

見積書作成ツール 作る前に決める5つ(小野寺・瀬尾)

  1. 機密度 ― 顧客名と単価は取引情報。公開のサービスには送らない
  2. アクセス権 ― 営業部の中だけ。開くときに社員のIDで確かめる
  3. 置き場所と引き継ぎ資料 ― 情報システム課が管理する共有の場所に置く。「動かし方・変え方・連絡先」を1枚にまとめる
  4. 止める条件 ― 単価表の改定に追いつけなくなったら止める。小野寺が異動するときは、引き継ぐか止めるかを決める
  5. 相談先 ― 次に作る前に、倉田へ一報を入れる

その下に、瀬尾はもう一行足した。全社で使う、機密情報を扱う、止まると業務が止まる、長く使い続ける、金額を計算する。どれか一つに当たれば、自作の範囲を超える。見積書は、2つに当たっていた。

「公開のサービスに送るのは今日で止める。計算と書式は、当面マクロで回す。そこから先は、うちの案件として一緒にやろう」

「……うっす。勉強会の自己紹介も、変えときます」

三月十三日 経営企画部

翌日、一条から返信が届いた。

一条からのメール

ご質問ありがとうございます。ただ、そこまで細かく見る必要がありますか。研修の目的はマインドセットの転換です。データの件数や対象範囲は、本質ではないんですよ。他社さんからは、こうしたご質問はいただいておりません。三月末の枠は、まだ空いております。

5問のどれにも、答えはなかった。代わりに、問いを取り下げさせる言葉が並んでいた。小野寺は、分からないところを分からないと言い、弱いところを自分で挙げた。同じ5問への反応が、2人のあいだで正反対だった。一条に悪意があるのかどうかは、瀬尾には分からない。答えられないなら「確認して回答します」と書けばよいのに、とだけ思った。

瀬尾は大槻に、メールと小会議室のメモを並べて見せた。

「研修は、答えが来てからでいい。三月末に合わせる理由はない」

夕方、倉田が紙コップのコーヒーを持ってきた。

「各部の依頼、小野寺くんに集まりすぎてるよね。外したほうがいいのかな」

「外したら、別の小野寺ができるだけだろ。売り込むのが悪いんじゃない。話が一本の道しか通ってないのがまずいんだ」

瀬尾は、依頼の窓口を1つ増やすことにした。作ってほしいものは、小野寺と情報システム課に同時に届くようにする。営業会議では、うまくいった話と一緒に、止めた話も出す。

瀬尾は手帳に書いた。

「作れることと、任せてよいことは別。作る前に5つ決め、話を聞くときは5問目まで聞く」