一月六日 本社食堂
仕事始めの年頭挨拶は、毎年同じ食堂で、毎年同じくらいの長さで終わる。その年だけは、最後の一言が違った。
「今年はAIの年だ。各部で、何かやれ」
拍手が起き、社員は持ち場に戻った。経営企画部の瀬尾奈々は、その一言を手帳に書き写しながら、「何か」とは何だろうと考えていた。考えるだけで済むと思っていた。
翌朝、常務の大槻修に呼ばれた。
「瀬尾くん、AI活用推進担当をやってくれ。今の仕事と兼務でいい。三月末の経営会議で、何をやるか決めたい」
「わたし、エンジニアではありませんが」
「だからいいんだ。技術の人間に任せると、話が細かくなる。各部の要望を集めて、結論を持ってきてくれ」
断る理由を探しているうちに、話は終わっていた。
一月九日 第二会議室
最初の会議には、各部から一人ずつ来た。情報システム課からは、瀬尾の同期の倉田誠が、ノートパソコンを抱えて一番うしろに座った。
営業部長が口火を切った。
「提案書をAIに書かせたい。営業が夜中まで資料を作っているのをやめさせたい」
「うちは検査だ。キズや欠けを、カメラで見つけてくれるやつがほしい」
第一工場の品質保証課長、野口剛だった。続いてカスタマーサポート課長の村瀬早苗が、手元のメモを見ずに言った。
「問い合わせが月に2,400件あるの。AIで、自動で返せるようになるなら、それがいちばん助かるわね」
「経理は請求書です。毎月300枚を手で入力しているので、読み取ってくれれば」
要望が出そろったところで、倉田が立ち上がった。ホワイトボードに縦線を1本引き、左に4つの要望を書き、右に何かを書き始めた。
「いま、全員が『AI』と言いました。でも、4つとも別物です」
倉田が右側に書いたのは、5つの問いだった。
ホワイトボード(倉田の字)
- 何をするAIか ― 作る(生成)/見分ける(認識)/数字を読む(予測)
- どれくらいの大きさか ― 大きいモデルほど賢く、遅く、高い
- どこで動くか ― 社外のサーバー(クラウド)/社内の機械(ローカル)
- 単体か、組み合わせか ― 検索して、読ませて、まとめる、のように部品が重なっているか
- 答えを返すだけか、操作までするか ― 送信・登録・削除まで自分でやるか
「提案書は作るAIで、検査は見分けるAIです。見分けるほうは、正解の画像と比べれば精度を数字で測れる。同じ画像を入れれば同じ答えが返る。作るほうは、毎回少しずつ違う文章が出てきて、良し悪しは人が読まないと決まらない。確かめ方が、まるで違います」
「うちの『自動で返す』は、どれになるのかしら」
「文章を作るAIで、しかも5番目です。返信の文面を作るだけなのか、お客さんに送るところまでやらせるのか。送ってしまったメールは取り消せません。送る前に人が見るかどうかで、備えが全部変わります」
村瀬は少し考えてから、うなずいた。
「送るのは、しばらく人でいいわ。間違った型番を案内したら、うちの信用の話になるもの」
そこで営業部長が、腕を組んだまま言った。
「ただ、AIの文章は使えないぞ。二年前に試した。提案書の骨子を頼んだら、うちの製品と関係ない話を並べてきた」
瀬尾は、手帳から顔を上げた。
「それは、どのサービスの、どのプランで試されましたか。無料のものでしたか」
「無料のやつだよ。どれも同じだろう」
「同じ名前のままで、中身のモデルは入れ替わっています。無料と有料で使えるモデルも違う。二年前の無料版の結果は、今の判断には使えないと思います。駄目だったものが今も駄目かは、もう一度試さないと分かりません」
営業部長は「そういうものか」とだけ言った。瀬尾は手帳に、試したら「いつ・どのモデル・どのプラン」まで残す、と書いた。
一月十六日 大会議室
一週間後、大槻が講師を呼んだ。「AI戦略アドバイザー」の肩書きを持つ一条隼人という男で、部長以上と各部の担当者が大会議室に集められた。
一条は、スライドの1枚目から言い切った。
「断言します。三年後、AIを使っていない会社は、取引先に選ばれなくなります。大手はもう、全社で使っているんですよ」
画面には、誰でも知っている企業の名前が並んだ。一条はその場でノートパソコンを操作し、質問を打ちこんだ。数秒で、整った回答と出典の一覧が画面に出た。会場から、小さなため息のような声が漏れた。
「このくらいのものは、2週間あれば作れます。パラメータ数が桁違いのモデルを使っていますから、中堅企業向けの製品とは頭の良さが違う」
大槻は、前の列で何度もうなずいていた。瀬尾の隣で、倉田が小さく息を吐いた。
講演は1時間で終わり、質疑の時間になった。誰も手を挙げなかった。質問すれば、自分が分かっていないことが分かってしまう。そういう沈黙だった。
一条の話のどこを確かめれば、この話を信じてよいかどうかを決められるだろう?
同じ日 質疑
瀬尾は手を挙げた。声が少し上ずった。
「今日のお話のうち、一条さんがご自身で実際に手を動かされた部分は、どこまでですか。たとえば、社内のデータを整える作業や、動かしたあとの保守も含めて」
「いい質問ですね。私はAI戦略の全体を見ていますので。現場の細かい作業は、それぞれの専門のチームがやるものです」
答えは滑らかだったが、どこまで、には答えていなかった。瀬尾はもう一つだけ聞いた。
「三年後に選ばれなくなる、というのは、うちの業務で言うと、具体的に何がどれだけ不利になるのでしょうか」
「それはもう、時代の流れです。他社さんがやっているのに、やらない理由はないでしょう」
会場の何人かが笑った。大槻は笑わなかったが、瀬尾のほうも見なかった。
講演のあと、倉田が紙コップのコーヒーを2つ持ってきた。
「あれで十分だよ。答えなかった、ってことが分かった」
「意地悪な質問だったかな」
「いや。『AIに詳しい』って言っても、中身は別々なんだよ。モデルを研究してる人、それを呼び出す仕組みを作れる人、社内のデータを整えられる人、法律と契約を読める人、導入を最後まで回したことがある人。ほとんど重ならない。一条さんがどれなのか、本人も区別してないのかもしれない」
「デモは本当にすごかったけど」
「2週間で作れるのは本当だと思う。ただ、あのデモで分かるのは『原理的にできる』までだ。読ませた資料が何件で、誰が整えたのか。例外が来たらどうなるか。件数が増えたらいくらかかるか。誰が直すのか。どれも映ってなかった」
倉田は、紙コップを置いて付け足した。
「あと、パラメータ数の話。世代が違うモデル同士で比べても意味がないんだよ。新しい小さいモデルが、古い大きいモデルに勝つのは普通のことだから」
肩書き、言い切る口調、その場で動く実演、他社の名前。どれも説得力があった。そして、どれも話の中身が正しいかどうかとは関係がなかった。瀬尾はそのことに、質問をしてはじめて気づいた。
同じ日 夜 第二会議室
ホワイトボードは、まだ消されていなかった。瀬尾はその前に立ち、4つの要望に、5つの問いを一つずつ当てていった。
請求書の読み取りは、見分けるAIで、答えを返すだけ。正しく読めたかどうかは数えられる。検査のカメラも見分けるAIだが、社外に画像を出してよいかは工場に聞かないと分からない。提案書は作るAIで、社外秘の単価が入る。問い合わせの自動返信は、作るAIで、しかも送信まで任せるかどうかという、いちばん重い問いを抱えていた。
倉田が、端に小さく図を書き足した。一番外側の丸に「AI」、その内側に「機械学習」、さらに内側に「深層学習」、真ん中に「生成AI」。
「世の中で騒いでるのは、この真ん中だけなんだ。検査のカメラも請求書の読み取りも、生成AIが流行る前から実務で使われてる。『AIは間違えるから危ない』って言うときは、どの丸の話をしてるのかを聞いたほうがいい」
「常務には、何て言えばいいと思う?」
「『何をやるか』の前に、『どれをやるか』だって。4つを一度に比べても、物差しが違うから比べられない」
瀬尾は手帳を開いた。1ページ目に、年頭挨拶の一言が書いてある。「各部で、何かやれ」。その下に、今日の1行を書いた。
「AIを導入する、と聞いたら、5つに分けてから聞く。『そのAIは、何をするものですか』」