この章の前提 ― 扱うのは人ではなく型

AI導入のプロジェクトでは、上に届く報告と現場の実態がずれることがあります。この章で扱うのは、そのずれが生じる行動の型です。特定の人物像を名指しするものではありません。

この区別は実務上も重要です。ずれの多くは、誰かが意図的に嘘をついた結果ではなく、情報の非対称性から生じます。上には要約された情報だけが届き、下には全体の判断材料がない。この状態が続くと、悪意がなくても報告と実態は離れていきます。だから対処も、人を責めることではなく、情報の流れを変えることになります。

型1 ― 成果だけが上がり、条件が落ちる

試験導入がうまくいったとき、報告されるのは達成された数値です。落ちるのは条件です。「処理時間が40%短縮」は残り、「対象は定型パターンのみで全体の3割」は落ちます。

これは報告の階層構造の性質です。要約は情報を捨てる処理であり、捨てられるのはたいてい条件の方です。結果として上層は「成功した施策」として認識し、拡大の指示が出ます。現場は残り7割で同じ結果が出ないことを知っているので、指示と現実の間に立たされます。

対処: 報告書の書式で、成果と条件を同じ行に置くよう決めます。「処理時間40%短縮(対象:全体の3割)」と書式で強制すれば、階層を上がっても条件が残ります。

型2 ― AIの出力が判断の隠れ蓑になる

「AIの分析ではこの案が最適でした」という説明は、一見して客観的に見えます。しかし実際には、入力データの選び方、比較対象の設定、指示の書き方に判断が入っています。その判断を説明せずにAIの名前だけを出すと、判断の責任が曖昧になります。

この型が問題になるのは、うまくいかなかったときです。判断した人が特定できないため、原因の検証もできません。

⚠ 危険信号

「AIがそう出した」という説明を受けたら、「入力に何を使いましたか」「比較した選択肢は何でしたか」を聞いてください。AIの出力は入力と指示で決まります。この2点を確認すれば、判断がどこで行われたかがはっきりします。最終的な判断は人が行ったと記録に残す運用にしておくことが、あとの検証を可能にします。

型3 ― 改善要望が「そういうもの」で終わる

現場から「この出力では使えない」という声が上がったとき、対応には2つの分岐があります。プロンプトの見直し、参照データの追加、ベンダーへの問い合わせといった具体的な改善に変換するか、「AIというのはそういうもの」「今の技術では無理」という一言で終わらせるか。

後者が選ばれる理由は、必ずしも怠慢ではありません。改善に必要な知識がない、時間がない、あるいは「無理」と答えるほうが自分の評価に響かないという判断が働きます。しかしこの一言が続くと、現場は声を上げなくなり、利用率が静かに下がります。

対処: 要望を記録する場所を作り、対応・保留・不可の3つに分類して理由を1行書く運用にします。「不可」の理由が書けないものは、まだ検討されていないということです。

型4 ― 他社比較が「特殊だから」で遮断される

「他社ではこうしているらしい」という情報が出たとき、「うちは業務が特殊だから」で議論が終わることがあります。実際に特殊な場合もありますが、この一言は検証なしに使えるため、比較を避ける道具にもなります。

対処: 「特殊」の中身を分解します。取扱品目、取引先の数、承認の階層、法規制。どの要素が特殊なのかを1つずつ挙げてもらえば、本当に比較不能な部分はごく一部だとわかることが多いです。

現場のシーン架空の例

朝凪精機のカスタマーサポート課で型番A系の限定試行が始まると、新人の3人は前より遅くなりました。回答案に、どの手順書を見て書いたのかが表示されないため、案を信用できず、結局手順書を一から引き直していたのです。試行の最初の週には「根拠の手順書を表示してほしい」という要望が出ていましたが、要望メモには「AIはそういうものなので、対応不可」と書かれ、委託先の汀システムには確かめられていませんでした。三月十六日、経営企画部の瀬尾が電話をかけると、汀システムの技術営業の岸本は「出せます」と答えました。参照した手順書の名前と箇所を表示する設定があり、試行の初期設定で外していただけで、翌日から表示されるようになりました。「そういうもの」で処理された要望のうち、技術的に本当に不可能なものは一部です。

ずれを小さくする3つの仕組み

個人の姿勢に頼らず、情報の流れを変える方法です。いずれも大掛かりな体制を必要としません。

  1. 報告書式に条件欄を作る ― 成果と対象範囲を同じ行に書かせる。これだけで型1は大幅に減ります。
  2. 要望を記録し、対応・保留・不可を理由付きで残す ― 型3が可視化されます。
  3. 現場の担当者が直接説明する機会を作る ― 月1回でも、要約を経ずに情報が上がる経路があると、非対称性が緩みます。

この構図は、表側から見るとシンプル版 第6章「経営層と現場のギャップ」の話になります。同じ問題を逆から扱っているだけなので、あわせて読むと対処の全体像がつかめます。