七月十三日 集計

回答案の試行は4週間で終わった。集計は、派遣スタッフの相原に任された。

相原の集計(試行4週間)

  • 試行の対象 620件。回答案が出たもの 236件(38%)
  • 回答案が出たものの対応時間 平均14分 → 11分(比較は三月の実績)
  • 参照した手順書が表示されない。新人3名は全文を確かめ直し、試行前より遅くなった

比較に使った三月は、年度末の繁忙期だった。課長の増田は、うまくいった行だけを別のシートに写して生成AIに読ませ、「削減率を計算して」と打ちこんだ。答えは「平均31%の削減」。

「課長、回答案が出なかった行が入っていません」

「効果を測るんだから、効果が出たところを測るんだよ。数字は正直ですから。AIがそう出したんで」

増田の評価面談は翌週で、目標の欄には「人件費の適正化」とある。31%は、その欄にちょうどよい大きさだった。相原が要望欄に書いた「参照した手順書を表示してほしい」にも、増田は首を振った。

「AIとはそういうものだよ。慣れるしかない」

相原は黙った。派遣の契約は3か月ごとで、更新の可否を伝えるのは増田だった。

七月十六日 報告の階段

報告は3日で3段を上がり、段を上がるたびに言葉が1つ落ちた。

報告の変化

  • 増田の週報 ― 「試行範囲の一部で改善。回答案が出たものでは平均31%短縮」
  • 持田の要約 ― 「お客様センターの対応時間が改善(平均31%)」
  • 経営会議資料 ― 「AIにより、問い合わせ対応を3割削減」

持田は「一部で」を消した。常務は条件のついた数字を嫌う。先に落ちるのは、いつも成果ではなく条件だった。

「38%の中での31%なら、全体ではもっと小さい。常務が見ているのは1行で、現場が見ているのは1件ずつ。その間に数字を大きくしたい人が挟まると、こうなる」

「でも、それを言ったら、常務の成果を否定することになりませんか」

そのとおりだった。この会社では、条件を足すことは、誰かの成果を削ることと同じ意味になる。

七月二十日 経営会議

「AIにより、問い合わせ対応を3割削減しました。万年商事のAI改革の、最初の成果です」

「3割減ったのなら、お客様センターの人手も減らせますな。浮いた分は営業のAIに回してはいかがでしょう」

物流部長と購買部長が続いた。三部長会で決めてきた順番どおりだった。大川は自分の数字を否定できない。否定すれば、最初の成果がなくなる。

二日後、大川は業界紙の取材で「3割減」を語った。記事を切り抜いた黒田は、三部長会の個室で言った。

「記事になった以上、あとで崩れても、崩れるのは常務の名前だ」

「31%削減」を経営会議で使う前に、何を確かめればよかったのだろう。確かめたくなかったのは、誰だろう?

七月二十三日 5つの数字

水野は相原の元の表から、上と下で同じものを見るための1枚を作った。

回答案の試行 5つの数字(水野)

  1. 対象範囲 ― 回答案が出たもの 38%
  2. 確認を含めた所要時間 ― 全体で9%短縮。新人は12%増
  3. 1件あたりの費用 ― 確かめ直す時間の人件費を足すと、削減分とほぼ同じ
  4. 例外の発生率 ― 手直しが要ったもの 23%
  5. 直せる人の数 ― 社内0人

手順書を表示する機能は、管理画面の設定1つで出せた。「AIとはそういうもの」で片づけられた要望の多くは、できないのではなく、誰も探していなかった。

「常務が業界紙で話したあとだろう。あと8か月なんだ」

「今出すと、常務の数字が間違っていたことになる」

「うちの客は特殊だから。よそと比べても意味がない」

紙を最後まで読んだのは、相原だけだった。

「3割減らす話、誰になるのか、もう決まってるみたいです。わたしじゃないって、課長には言われました」

相原が要望を二度と書かなくなったのは、そのころからだった。

七月三十一日 空いた机

月末、派遣スタッフ3名の契約が更新されなかった。増田の評価面談は「目標達成」で終わった。相原は残り、空いた机から、3人が自分で作った回答案の早見表を見つけて、自分の引き出しにしまった。黙っていたから、自分は残れた。そのことは誰にも言わなかった。

その夜、水野は頼まれてもいないのに、手順書を表示する設定を入れた。新人の対応時間は目に見えて短くなった。増田は週報に「現場の改善努力により、さらなる時間短縮を達成」と書いた。

「やっぱり慣れの問題だったな」

設定を入れたのが誰かを、水野は言わなかった。言えば、3人の契約の話に戻る。戻っても、3人は戻ってこない。

「3割削減。その3割の中身だった3人の名前は、報告書のどこにもない」