六月二十九日 営業会議

会議の最後に、営業部の三好が前に出た。入社五年目で、売上は課でいちばん少ない。

「生成AIで、見積もりを作るツールを作ったっす。前は1件20分かかってたのが、2分です。作業90%削減っすね」

90%は、三好が自分の見積もり3件で測った数字だった。誰もそれを聞かなかった。黒田が立ち上がって手を叩いた。

「営業本部から、若手のAI人材が育っている。管理本部のAIを待つまでもありませんな」

黒田にとって、三好は都合のよい看板だった。常務の案件が進まないうちに、営業は自力でAIを使いこなしている。そう見えれば、予算の取り分を増やせる。ツールの中身は、看板には関係がない。

翌週の社内報に、三好の笑顔が載った。記事の最後には持田の談話があった。「AI推進室としても全面的に支援してまいりました」。持田が三好と話したのは、取材の前日が初めてだった。三好は訂正しなかった。支援されたことにしておけば、推進室への異動の話がしやすい。

七月三日、アンシンテックの見積もり画面が納品された。黒田が「三好のツールがあるから」と言い、営業は誰も使わなかった。

七月の初め 質問の集まる席

どの部署も、AIのことは三好に聞くようになった。

「そこはプロンプト次第っすね。エージェントに回せば一発っす」

言葉は多く、中身は少なく、失敗の話は一度も出てこない。物流部長に頼まれると、触ったこともない出荷量の予測まで請け合った。出荷データから欠品の注文が抜けていることを、三好は知らない。物流部長は知っていて、言わなかった。

「三好さん、推進室に呼ばれるって噂ですよ」

「AIのことを全部1人に聞くようになったら、その1人が間違えたとき、誰も気づけないんだよ」

内田は羨ましそうな顔のまま、画面に戻った。

七月六日 ツールの中身

三好のツールは、情シスの管理台帳に載っていなかった。水野は半日かけて中身を読んだ。

水野のメモ(三好の見積もりツール)

  • 見積もりのたびに、取引先名と掛け率を個人アカウントの公開チャットサービスに送っている
  • 共有フォルダのパスワードがプログラムに書いてある
  • 画面に認証がない。誰でも全取引先の掛け率を開ける
  • 締め日の扱いが営業一課のやり方だけ(課ごとに3通りある)
  • 直せるのは三好だけ。説明はどこにもない
  • 開発に使ったエージェントに、共有フォルダの削除と書き換えの権限を渡したまま

作ることは、もう難しくない。難しいのは作ったあとだ。営業の全員が毎日使い、掛け率という機密を扱い、止まれば見積もりが止まる。個人が片手間で作ってよい範囲は、とうに超えていた。

三好のツールは、何ができていて、何が決まっていないのか。三好はなぜ、それを自分から言わないのだろう?

七月七日 5つの質問

「三好さんが自分で手を動かしたのは、どこまでですか。90%は、何件で測りましたか」

「全部ぼくっす。3件……いや、30件くらいっす」

「営業の見積もりの何割がこれで作れますか。失敗したら何が起きますか。AIを使わない方法は考えましたか」

「全部作れます。失敗はないっす。AIでしかできないんで。……っていうか、情シスって邪魔するのが仕事なんすか」

質問を問い返す反応が、いちばん多くを語っていた。

「見積もりを作るとき、個人のアカウントを使っていますか」

「使ってません」

その夜、三好は自宅で公開チャットサービスの履歴を全部消した。売上で勝てない自分が、やっと手に入れた場所だった。守るためなら、消すくらい何でもなかった。

七月八日〜十日

翌朝、黒田から内線が来た。

「情シスは、若手の芽を摘むのが仕事なのか。あれは営業本部の成果だ。余計な詮索はしないでもらいたい」

三好は、水野と話したその足で黒田のところへ行っていた。看板に傷がつけば、営業本部の傷になる。

水野の端末には、営業会議の日に撮った画面の写真がある。個人アカウントのアイコンと、取引先名の入った履歴が映っている。出せば、三好の嘘は1枚で崩れる。水野は写真を出さず、ツールを続けるために決めるべき5つ ― 機密度、見せる範囲、置き場所と引き継ぎ、止める条件、相談先 ― を1枚にして黒田の秘書に送った。返事はなかった。写真は、もっと高く売れるときまで取っておく。そう考える自分が影山とどこが違うのか、水野には分からなかった。

その週、営業二課の派遣の女性が、五年前に自分で作った表計算の見積もり表を持ってきた。掛け率も締め日も、課ごとに切り替えられた。

「誰にも聞かれなかったので。AIじゃないですし」

翌月に契約更新の面談がある。一度は誰かに見せておきたかったのだ。AIを使わない解決は、誰の手柄にもならない。だから聞かれない。

「三好が消した履歴は、わたしの控えにだけ残っている。まだ、誰にも見せていない」