四月一日 部長会

期初の部長会の最後に、社長が一言だけ足した。

「会長が新聞を読んでな。うちもAIをやれ、と」

誰が何を、とは言わなかった。常務の大川が立ち上がった。

「私が旗を振ります。今年を万年商事のAI元年にしましょう」

大川の任期は来年の六月まで。ベンダーのアンシンテックからは「改革を成し遂げた方には、弊社の顧問に」と言われていた。旗を振る理由は、退任後の席だった。

真っ先に拍手した経営企画室の持田が、その場で「AI推進室長」に指名された。仕事はできないが、常務を持ち上げることだけは誰より早い。

「実務は情シスで頼む。平野さん、いいね」

情報システム部長の平野は来年の三月で定年だ。卓上カレンダーに毎日×を付けている。平野はうなずき、その足で仕事を主任の水野に回した。

「水野くん、頼むよ。僕はもう上がりだから」

「何を、いつまでに、どなたの判断で進めますか」

「それは持田くんに聞いて」

水野はそのやりとりを私用の端末に書いた。会社の端末には残さない記録で、本人は「控え」と呼んでいる。会社のためではない。いつか自分を守るための記録だった。

四月八日 最初の打ち合わせ

各部から要望が出た。営業本部長で取締役の黒田は提案書づくり、お客様センター課長の増田は問い合わせの自動回答、物流部長は倉庫の自動搬送機、購買部長は仕入れ先の比較表。水野はホワイトボードに5つの問いを書いた。

ホワイトボード(水野の字)

  1. 何をするAIか ― 作る/見分ける/数字を読む
  2. どれくらいの大きさか ― 大きいほど賢く、遅く、高い
  3. どこで動くか ― 社外のサーバー/社内の機械
  4. 単体か、部品の組み合わせか
  5. 答えを返すだけか、送信や登録まで自分でするか

当てはめると、半分はAIではなかった。自動搬送機は三年前に却下された設備投資と同じ型番で、比較表は関数を直せば済む。

「うちは自動で返すやつでいい。全部自動なら人が減らせる」

増田が見ているのは、評価面談で問われる人件費の欄だった。

「5番目です。送ったメールは取り消せません。送る前に人が見るかどうかで、備えが全部変わります」

「AIの文章は使えませんな。二年前に営業で試した」

「いつの、どのサービスの、どのプランでしたか」

「細かいことはいい」

試した記録はどこにもない。黒田が欲しいのは結論ではなく、営業の予算に情シスが口を出さないという前例だった。受注センターの古株、古川は「FAXは人が読むもんだ」とだけ言った。読めない注文書の数を数えられれば、自分の勘の値打ちが下がる。

会議のあと、持田がホワイトボードの右半分を消した。

「部長方のお気持ちもあるから。全部AIで行きましょう」

水野は消される前に写真を撮っていた。誰にも言わなかった。

四月十五日 勉強会

講師はアンシンテックの営業本部長、宇佐美だった。

「弊社のAIは御社専用です。パラメータ数が桁違いで、大手はもう全社で使っています。このくらいなら2週間で動きます」

宇佐美に要るのは、今期の売上と、常務という入り口だった。数秒で整った回答が出ると、大川は深くうなずいた。作るAIか見分けるAIかは、大川には関係がない。退任の挨拶で「AI改革をやり遂げた」と言えれば十分だった。

質疑で手を挙げる人はいなかった。常務の気に入った話に質問すれば、常務に質問したことになる。

宇佐美の実演のどこを確かめれば、この話を信じてよいかを決められるだろう。そして、それを確かめた人は、この会社でどう扱われるだろう?

同じ日 質疑と、その夜

水野だけが手を挙げた。

「今日の実演で、御社が手を動かした範囲はどこまでですか。読ませた資料は何件ですか」

「弊社の専門チームが。詳細は守秘義務がございまして」

「水野くんは慎重派だからな」

笑いが起きて、答えがなかったことは消えた。休憩室で、後輩の内田が聞いてきた。

「2週間で作れるって、本当ですか」

「動かすだけならね。例外が来たらどうなるか、件数が増えたらいくらか、誰が直すか。どれも映ってなかった」

内田はうなずき、その夜、持田にチャットを送った。経営企画室へ移りたい内田にとって、先輩の発言は手土産だった。

社内チャット 内田 → 持田

水野さん、アンシンテックには否定的な様子です。ご参考まで。

終業後、総務の影山が水野の机の横に立った。大川の元部下で、常務の汚れ仕事を黙って引き受ける男だった。

「ああいう質問は場を冷やす、と常務が。私の独り言ですが」

押し返すより、記録するほうが安全だった。安全なのは会社ではなく、自分だった。帰りの電車で転職サイトを開き、それから控えに1行を足した。

「四月一日 常務『実務は情シスで頼む』。誰に、何を、いつまでに、は言わなかった。書いたものは、どこにもない」