四月二十二日 三部長会
月に一度、黒田は物流部長と購買部長を連れて、駅裏の居酒屋の個室に入る。社内で「三部長会」と呼ばれる集まりだった。
「常務のAI、1億は付くらしいですよ」
「付けさせればいい。うまくいけば中身をやったのはうちの部、こけたら旗を振ったのは常務だ。会議では常務を持ち上げろ。それと、情シスは遅いと言い続けておけ」
黒田が狙うのは、大川が去ったあとの常務の席だった。会社が1億を失うことは、その計算の中では小さな項目にすぎない。購買部長は来年に役職定年を迎え、仕入れ先の1社から「その後」の話をもらっている。比較表を作り直せば、どこを上に並べるかを自分で決め直せる。物流部長が守りたいのは、3期続けて社内一低い欠品率だった。3人とも、AIが何をするものかには関心がなかった。
黒田は廊下で宇佐美に電話をかけた。
「営業支援も提案に入れてくれれば、経営会議で推しますよ」
電話を切った宇佐美は、その足で大川に電話をかけた。
「黒田取締役も、たいへん前向きでいらっしゃいます」
五月七日 提案書
提案書 要約(アンシンテック)
- 受発注・問い合わせ業務の工数を最大70%削減
- 導入実績500社
- AI需要予測・AI購買最適化・営業支援AIを同時に実現
- 今月末までのご契約で、初期費用を無償といたします
何件の注文書を、誰が、どの手順で読ませるのかは、どこにも書いていなかった。三部長会の要望は、そのまま載っていた。70%の根拠を水野が尋ねると、持田は画面から目を離さずに答えた。
「常務が『数字は大きめに』と」
言ってから、持田は口を閉じた。
五月八日 3人で読む
水野は、総務で契約を見る須賀と、お客様センターの増田を呼んだ。
「効果が出やすいのは、毎日同じ形で起きている作業です。設計の本体は、AIが自信のないものを人に回す仕組みです。その話が1行もありません。失敗したときにどう止まるか、誰の権限で動くかの工程もない」
「成果物が何ページで、読んで何を決められるのか、書いてないですね。入力したデータを先方の学習に使うかどうかの条項もありません」
「細かいことはいいよ。70%なら派遣を5人切れる。今期の人件費の目標に届くんだ」
増田が見ていたのは数字の根拠ではなく、自分の評価表だった。水野は需要予測の頁を開いた。
「物流部は、在庫がないときの注文を受注として記録していません。欠品率を良く見せるための、部長の指示です。このデータで予測させると、AIは『売れなかった』と覚えます」
「それ、部長に言えますか」
「言えません」
須賀は日付入りのメモを1枚書き、引き出しにしまった。「学習利用の条項なし 指摘済み」。止めるのは自分の役目ではない。指摘した記録が残れば、それでいい。
この提案書の数字は、誰が、何のために置いたものだろう。まず確かめるべき空欄はどこか?
五月十日 常務室
水野は、対象範囲・件数・精度とその測り方・工程と期間・費用の内訳を1枚にまとめて持っていった。
「君は、うちがAIで遅れてもいいのか。今月末なら初期費用が無償なんだぞ。質問は先方に直接していい。ただし、文書にするな」
文書に残った質問は、答えが出なかったときに、誰が聞いて誰が無視したかを残してしまう。大川はそれを40年近い会社勤めで知っていた。
水野は同じ質問をメールで宇佐美に送り、写しを控えに保存した。返信は翌日に来た。導入実績500社には無償の試用を含む。有償で稼働中の社数は守秘義務により出せない。失敗の想定は「御社専用に最適化いたしますので、ご安心ください」。
五月十四日 経営会議
前の晩、水野はその返信を封筒に入れ、黒田の秘書に預けた。黒田が常務の失敗を待っていることは知っていた。知っていて、使った。
「常務の案は素晴らしい。ただ、実績の中身が開示されないのは株主に説明がつきませんな。まず2週間、試してからでも遅くはない」
物流部長と購買部長が、打ち合わせどおりに続いた。契約は見送られ、2週間のPoCに変わった。大川は笑顔でうなずき、常務室の扉が閉まると笑顔を消した。
「黒田に紙を渡したのが誰か、分かるな」
「見当はついております。整理しておきます」
大川はそれ以上聞かなかった。聞かなければ、聞かなかったことにできる。
1億の契約は、2週間の試行に縮んだ。縮めたのは質問ではなく、取締役どうしの順番争いだった。そこへ封筒を1つ差し入れたのが自分だということも、水野は分かっていた。
「提案書の70%の出どころ ― 常務。常務の70%の出どころ ― どこにもない」