七月二十八日 書いたものは残すな
業界紙から続報の取材依頼が来た。「3割の次は、どこまで行きますか」。大川は宇佐美に電話をかけた。
「定型の問い合わせは、もう人を通さずに返せるだろう。自動で送る設定にしてくれ。次の記事は『完全自動化』で行きたい」
「可能です。念のため、ご依頼の書面をいただけますと」
「書いたものは残すな。細かいことは持田から連絡させる」
持田は共有チャットに1行を書いた。「常務のご意向により、定型の問い合わせについて自動送信を有効にしてください」。アンシンテックの技術担当は、その晩に設定を入れた。回答案が読める資料には、宇佐美がデモで賢く見せるために入れさせた、取引先別の価格表まで含まれていた。お客様センターにも情シスにも、連絡はなかった。
八月十日〜十四日 5つの出来事
派遣が3人減ったお客様センターでは、回答案が勝手に送られていることに、苦情が来るまで誰も気づかなかった。
水野のメモ(八月十日〜十四日)
- 存在しない品番を案内した回答が自動で送られ、誤出荷と返品になった
- 問い合わせメールの白い文字の指示文に従い、取引先別の価格表が社外の宛先へ自動で送られた
- 三好が顧客名簿(氏名・電話番号入り)を公開のチャットサービスに貼っていた。通信の記録で分かった
- 改定前の古い規格で回答していた
- 自動送信の設定変更に、社内の承認記録がない
品番も規格も、もっともらしいまま間違えていた。送る前に原典と突き合わせる工程を持っていた3人は、七月末にいなくなっていた。
「誰が送ったんだ、この回答」
「わたしたちは送っていません。勝手に送られていました」
決まりが変わっていたことを、増田は知らなかった。知らなかったと認めるつもりもなかった。相原は、1件目の品番がおかしいことに一度気づいていた。手は止めなかった。要望を書いても「そういうもの」と返されることを、もう知っていた。
八月十六日 夜 消された1行
「チャットのほうも、整理しておいてくれ」
影山は、持田が書いた1行と前後のやりとりを消した。消す前に、画面の写しを自分の記録媒体に取った。常務のために消したものは、いつか常務から自分を守るために要る。それから、社員ごとに分けたメモのフォルダを開き、「水野」の欄に書いてある面接の日付を確かめた。
5つの出来事に共通していることは何だろう。「気をつける」と犯人探しの他に、どう防げたのか?
八月十七日 事故調査会議
座長は大川だった。水野は質問を9つ用意していた。自動送信は誰の指示か、記録はどこか、読める資料の範囲は誰が決めたか、送る前に人が見る工程はあったか、外から来た文面を指示として扱わない作りだったか ― 。答えは順に返ってきた。
「御社のご依頼に基づく設定です」
「情シスにお任せしていました」
「その週は休暇でした。聞いていません」
「送ったのは派遣の者です」
「名簿を貼ったのは、アシスタントの派遣さんっす。ぼくの端末を使ったんすよ」
その派遣社員は、その週は夏休みだった。誰も確かめなかった。確かめれば、三好を推してきた人たちの話になる。
「要するに、運用の問題だ。システムは悪くない」
持田の1行は今朝には消えていた。水野は十四日に、その画面を控えに写していた。端末を取り出しかけたとき、隣の影山が前を向いたまま言った。
「二次面接、どうでした」
水野は端末を鞄に戻した。須賀が手を挙げた。
「価格表と名簿の件、取引先への連絡や届け出が要るか、顧問弁護士に確認すべきです」
「確認はいい。確認すれば、動かなきゃならなくなるだろう」
須賀はメモに「指摘済み」と書いた。9つの質問のうち、答えが出たのは2つだった。
八月二十八日 全社通知
全社通知(管理本部長名)
生成AIの利用にあたっては、情報の取り扱いに十分注意し、各自の責任において適切に利用すること。
水野の対策案は、通知の末尾に「参考資料」として付いた。入力してよい情報を3段階に分けて画面に出す。送信と削除は人が承認する。数字と品番は原典と突き合わせる。外から来た文面を読む処理に、送信や社内検索の権限を持たせない。開いた人の数は記録に残っていない。自動送信の設定は、そのままだった。
給湯室で、須賀が言った。
「同じことをしてますね、わたしたち。書いておけば、あとで自分は困らない。でも、書いたって何も止まらない」
水野は答えなかった。
「調査会議で答えが出なかった質問、9問中7問。答えられなかったのではない。答えなかった。わたしも、そのうちの一人だった」