一月十三日 AI推進室

年が明けて、AI推進室が最初に手をつけたのは、社内の自作ツールを数えることだった。十二月の受注入力の件で、営業部業務課の担当者が得意先コードを引くための早見表を自分で作り、毎日使っていたことが分かった。販売管理システムと同じくらい業務を支えているのに、情報システム課の誰も知らなかった。

室長代理の瀬尾奈々は、各部に一通のメールを出した。業務で使っている自作のツールを教えてください。表計算のマクロも、生成AIを使ったものも含みます。締め切りの日に、返事がそろった。

各部からの回答(一月十日締め)

営業部 該当なし/経理課 該当なし/総務課 該当なし/購買課 該当なし/第一工場 該当なし/第二工場 該当なし/カスタマーサポート課 回答案づくり(汀システム)のみ

情報システム課の係長で推進室を兼ねる倉田誠は、その紙の横に、自分で作った一覧を置いた。共有フォルダにあるマクロ付きのファイル、社外のAIサービスへの通信の記録、経費精算に出てきたAIサービスの個人契約。数えただけで30を超えていた。

「『なし』が7つ。こっちは30以上。どっちかが間違ってる」

ドアのところで、営業部の小野寺蓮が顔を出した。入社三年目。去年の三月、生成AIで作った見積書作成ツールで社内報に載り、そのあと瀬尾と一緒に、作る前に決める5つを決めた。瀬尾が、台帳づくりを手伝ってほしいと呼んでいた。

「30じゃ済まないっすよ。社内報のあと、作り方を聞きに来た人がめっちゃいたんで。みんな作ってます。でも聞かれたら『ない』って言いますよ」

「どうして?」

「言ったら止められると思ってるんで。去年、顧客の履歴を公開のサービスに貼った件で、全社に通知が出たじゃないですか。あれから『作りました』って言うのは、怒られに行くのと同じなんすよ」

「申告すれば止められて、黙ってれば使える。なら誰だって黙る。調べ方が悪いんじゃない。答えると損をする仕組みなんだ」

「あと、先に作って見せたほうが通るんすよ。情シスに頼むと順番待ちだし、できてるものは止めにくいんで」

「……うちの順番待ちが3か月なのは、否定できないな」

前もって相談した人より、黙って作った人のほうが早く使える。その順番を変えないかぎり、何度調べても同じ答えが返ってくる。

瀬尾は、メールの文面を読み返した。「教えてください」の先に、答えた人が何を得るかが一行も書いていなかった。

「じゃあ、言ったほうが得になるようにしよう。止めるための調査じゃなくて、登録。登録したら、推進室が手伝う」

その日の夕方、5行の登録票ができた。

自作ツール登録票(AI推進室)

  1. 名前と、何のためのものか
  2. 使う人と人数
  3. 扱うデータの区分(公開/社内限り/禁止)
  4. 置き場所
  5. 作った人と、いまの担当者

登録すると受けられること: 権限と置き場所の相談/推進室が契約しているAIサービスへの接続(個人契約が不要になります)/引き継ぎ用の記録を一緒に作ります。登録したことを理由に止めることはしません。止める必要があるときは、代わりの手段を一緒に用意します。

一月二十日 経理課

登録票を配った翌週、最初に来たのは経理課長だった。記入済みの紙を持っていた。

「登録すると相談に乗ってもらえると聞いたので。出張の日当を聞くと答えてくれるツールがあるんです。去年の春にうちの若いのが作って、みんな重宝してました。それが一月の規程改定のあと、古い金額を答えるようになって」

作った本人は、十月に第二工場へ異動していた。改定後に3人が、古い日当で精算を出していた。経理課では誰も中を開けられず、外の業者に直してもらう見積もりを取ろうとしていたところだった。

小野寺と倉田が画面を開いた。日当と宿泊費の上限は、コードの中の3か所に数字で直接書かれていた。規程の本文は、AIへの指示文の中にまるごと貼りつけてあった。倉田は第二工場の本人に電話をつなぎ、30分で直した。

「直すのは30分です。ただ、次の改定のときにまた同じことが起きます。数字がコードに埋まってる限り、経理課では変えられない。それに、これは全社員が使っていて、金額を答えるツールです。個人の便利ツールの範囲を超えてます。直すだけじゃなく、誰が持つかを決め直したほうがいい」

「作ったときは、便利なものができた、としか思っていませんでした」

瀬尾は、推進室で用意していた一枚を渡した。去年、小野寺の見積ツールのために作った記録を、誰でも使える形に直したものだった。

引き継ぎ用の1ページ(書式)

  • 目的 ― 何のためのツールか、誰が使うか(2〜3行)
  • 動かし方 ― 起動と停止の手順、置き場所
  • 変更のしかた ― 設定値の場所、よくある変更の手順(例: 規程改定のとき、どこを差し替えるか)
  • 依存しているもの ― 接続先、使っているAIサービス、権限
  • 連絡先 ― 作った人、いまの担当者
  • 止める条件 ― いつ止めてよいか

「去年ぼくが書いたやつと同じっすね。30分で書けます。書いてから、数字をコードの外に出しましょう」

経理課長は、改定のたびに自分の課で数字を差し替えられるようにしてほしい、とだけ言った。それが、このツールでいちばん大事な仕様だった。

一月二十七日 47本

小野寺は登録票を持って各階を回った。作っている人を知っていたので、一人ずつ声をかけた。決め文句は、登録すれば個人で払っているAIサービスの代金がいらなくなる、だった。2週間で、台帳は47行になった。

自作ツール台帳 一月二十七日時点(推進室)

  • 登録 47本(表計算のマクロ 21、生成AIを使うもの 19、その他 7)
  • URLを知っていれば誰でも開けるもの 9本(うち1本は第一工場の検査記録を検索する画面)
  • 入力の形式を確かめていないもの ほぼ全部
  • 個人契約の公開サービスに社内のデータを送っているもの 4本
  • 作った本人しか動かし方を知らないもの 34本(うち5本は作った人が異動済み)
  • 引き継ぎの記録があるもの 1本

「最後の一本、ぼくのっす」

認証がない、入力を確かめない、社内のデータが外に出る、作った本人しか直せない、そして誰も全体を知らない。5つの穴が、ほとんど全部の行に何かしら当てはまった。

検査記録の画面を作った第一工場の係長は、登録票の備考欄に「社内からしか開けないので安全です」と書いていた。

「社内には、業務委託の人も、異動した人も、退職の手続き中のアカウントもある。URLが分かれば全員が開ける。社内向けは、安全の理由にならない」

台帳を並べてはじめて見えたものもあった。月次の売上を出すツールが3本あった。営業部は月末締め、経理課は請求の締めに合わせて二十日締め、第二工場は出荷日で数える。3本とも正しく動いていて、3本とも違う数字を出していた。

「これ、去年の三月にも見つかったよね」

「見つかって、誰の仕事でもなかったから、そのまま残った。まず、3本とも計算の前提を画面に出す。対象期間、何を除いたか、どこで締めたか。数字がそろわなくても、なぜ違うかは一目で分かる」

小野寺は、その日の午後のうちに3本の画面の上に一行ずつ足した。

月次売上集計(経理課版)の画面 1行目

対象期間: 前月二十一日〜当月二十日(請求締め)/除外: キャンセル・返品・社内取引/金額: 税抜

数字は違ったままだったが、翌月の会議で「どれが正しいのか」を30分議論することはなくなった。

ほかにも重なりがあった。社内の規程や過去のメールを検索して答えるツールが、部署ごとに別々に8本。そのうち1本は、AIサービスの鍵がコードにそのまま書かれ、共有フォルダの誰でも読める場所に置いてあった。

「どこから止める?」

47本のうち、「すぐ止めるべきもの」を、どう選べばよいのだろう?

一月三十日 常務室

常務の大槻修は、台帳の1行目を見たところで言った。

「47本もあるなら、いったん全部止めろ。事故が起きてからでは遅い」

「全部止めると、来年の棚卸しでは『ない』という答えしか返ってこなくなります。今回の47本は、止めないと約束したから出てきました」

大槻は黙って、次の紙をめくった。瀬尾と倉田が2日かけて作った分け方だった。

「すぐ止めるものは、2つの問いだけで選びました。外に出てはいけないデータが、いま外に出ているか。鍵や記録が、いま誰でも読める場所にあるか。止まったら困るかどうかは、止め方を決めるときに見ます」

自作ツールの分け方(推進室案)

縦に影響度(止まると業務が止まるか/使う人の範囲/金額の計算や外部への送信をするか)、横にデータの区分(公開/社内限り/禁止)。

  • すぐ止める 4本 ― 禁止区分のデータを個人契約の公開サービスに送っているもの2本、鍵が誰でも読める場所にあるもの1本、URLを知っていれば誰でも開ける検査記録の画面1本。検査記録の画面は毎日使われているため、権限のある置き場所に代わりを用意してから止める
  • 公式化する 7本 ― 全社で使う、機密情報を扱う、止まると業務が止まる、年単位で使う、金額を計算する、のどれかに当たるもの。自作の範囲を超えている。出張の日当のツール、月次の売上集計3本、得意先コードの早見表など。情報システム課が引き取るか、調達する
  • そのままでよい 36本 ― 個人か少人数で使い、社内限りまでのデータで、止まっても手作業に戻せるもの。条件は登録と引き継ぎの1ページだけ

「36本は放っておくのか」

「放っておくのではなく、見えている状態で使ってもらいます。それと、同じ目的のツールが8本あったのは、各部が同じものを別々に作るしかなかったからです。推進室で共通の入口を用意します。AIサービスへの接続、鍵の管理、記録。作る人は、そこにつなぐだけで済むようにします」

「締めつけるのか」

「逆です。手間を減らします。自分で鍵を持たなくて済むなら、みんなそっちを使います」

大槻はしばらく台帳を見ていた。それから、4本の行に赤で丸をつけた。

「この4本は今週中だ。残りは登録を続けろ。……一か月前に聞いていたら、全部止めていたな」

推進室に戻ると、小野寺が台帳の48行目を打ちこんでいた。第二工場から、今朝になって届いた登録票だった。

「そういえば、ぼくの見積ツールはどっちっすか」

「単価を掛けて金額を出してるだろ。公式化のほうだ。引き継ぎの1ページがあるから、引き取るのはいちばん楽だけどな」

「……っすよね。来年は、最初のメールで『あります』って返ってくるといいっすね」

瀬尾は手帳に書いた。「『うちにはない』は、答えると損をする仕組みへの答えだった。登録すると得をする形にする」