六月三日 AI推進室

五月の終わりに3社へ送った質問票の答えが、六月の最初の週にそろった。社内ナレッジ検索と業務アシスタントのコンペに呼んだ、クラウゼル・テクノロジーズ、アストラム・データ、汀システムの3社である。どの回答書にも、頼んでいない別紙が一枚ずつ付いていた。モデルやサービスの比較表だった。

AI推進室の室長代理、瀬尾奈々は、3枚を机に並べた。向かいには情報システム課の森拓海が座った。入社三年目で、五月のコンペから推進室の実務を手伝っている。

クラウゼル・テクノロジーズ 回答書 別紙「主要AIモデル 性能比較」

公開ベンチマーク総合 第1位 弊社独自モデル/第2位 A社モデル/第3位 B社モデル。利用単価は業界最安水準です。

アストラム・データ 回答書 別紙「検索精度の比較」

回答の正確さ(適合率) 弊社 業界最高水準。他社平均を大きく上回ります。

汀システム 回答書 別紙「応答時間と月額費用の比較」

応答時間・月額費用の見込みとも、当社の構成が最も有利。
測定日 五月二十八日/対象 カスタマーサポート課の過去の問い合わせ50件/表を含む製品仕様書は未検証

「3枚とも、自分の会社がいちばん上だね」

「並べる項目を決めたのが、それぞれの会社ですから。上に来るのは自然だと思います。見るなら、何が載っていないかのほうです」

森は、クラウゼルの表の「A社モデル」「B社モデル」に鉛筆で丸をつけ、それぞれの提供元の更新情報を開いた。どちらも一つ前の世代で、今は後継のモデルが出ていた。

「最新のモデルを、他社の一つ前のモデルと並べています。いつ、どの設定で測ったかも書いてありません。答える前にどれだけ考えさせるかで、点数は変わるのに」

「アストラムのほうは?」

「適合率だけです。関係ない文書が混ざらないほう。見落としの少なさ、再現率が載っていません。それに『他社平均』の他社がどこなのか、分かりません」

汀の表だけは、下に小さな字で条件が並んでいた。いつ、何を、何件で測ったか。何を測っていないか。汀も自社をいちばん上に置いていたが、条件が書いてあるぶん、確かめる手がかりがあった。

瀬尾は、3枚のどれにも載っていないものを手帳に書き出した。使うモデルの版を固定できるか。一度にどれだけ送れるか。送ったデータを学習に使うか。止まったとき、何を約束してくれるか。

「表の余白のほうが、動かしてから効いてきそうだね」

六月五日 常務室

二日後、常務の大槻修に呼ばれた。AI推進室の室長を兼ね、このコンペの決裁をする人である。机の上に、ウェブの記事を印刷した紙があった。営業部で誰かが見つけ、部署をまたいで転送されてきたという。

ウェブ記事「法人向け生成AIサービス 徹底比較ランキング」(印刷)

総合第1位は、性能と価格のバランスで他を圧倒。料金は文字数に応じた従量制で、5サービスの中で最も安い。迷ったらこれを選べば間違いありません。

「専門のサイトがこう書いてる。1位は安くて性能もいい。結論から頼む。3社の表とこの記事を突き合わせれば、決まりじゃないのか」

森が紙を裏返し、いちばん下の行を指さした。小さな字で「PR」とあり、その横に掲載日があった。一年半前の日付だった。

「広告の記事です。載っているサービスのどこかが、お金を出して載せています。それと、掲載が一年半前です」

森はその場で、1位のサービスの提供元の料金表を開いた。

「今の料金表は、文字数ではなくトークンで数えています。入力と出力で単価も違います。記事の料金は数える単位ごと古いので、今の料金表とは並べて比べられません」

「記事の日付なんて、誰も見ないだろう」

「わたしも見ていませんでした。記事は、何を調べればいいかの入口には使えます。でも料金と条件は、提供元の料金表と利用規約で確かめます。見た日付も残します。半年後には、また変わっているかもしれないので」

記事には、5つのサービスのどれについても、弱いところが一行も書いていなかった。瀬尾は、汀の表の「未検証」の一行を思い出した。

その週のうちに、瀬尾と森は、3社の提案に使われている基盤のモデルについて、提供元が出している一次情報を一つずつ当たった。料金表、利用規約とデータの取り扱い、それにモデルカードと呼ばれる、モデルの説明資料である。

参照記録(推進室の共有フォルダ)

  • 料金表 参照 六月六日 課金はトークン単位。入力と出力で単価が違う。検討量を増やす設定では、内部で考えた分も課金される
  • 利用規約・データの取り扱い 参照 六月六日 法人向けのプランは、入力を学習に使わない旨の記載あり。無料のプランは条件が別
  • モデルカード 参照 六月七日 知識の時点は一年以上前まで。想定していない用途として、法的な助言・採用の自動判定などの記載あり。クラウゼルの独自モデルは「非公開」との回答
  • ランキング記事 掲載は一年半前。広告記事。判断の根拠にしない

「知識の時点が一年以上前ってことは、今年変わった旅費規程は知らないんだ」

「知らないことは、文書を探して渡すしかありません。検索の出来で選ぶ理由が、一つ増えました。それと、想定していない用途のところは、規程の解釈を聞かれたときの答え方に関わります。法的な助言として使う作りには、しないほうがいいです」

六月中旬 第二会議室

瀬尾は、3枚の表に載っていなかった4つの項目を、3社に同じ文面で照会した。答えは、比較表よりもはっきり分かれた。

照会への回答(推進室で要旨を並べたもの)

  • 版の固定 クラウゼル「常に最新の独自モデルをご提供いたします」/アストラム 一定期間の固定が可能。古い版の終了は事前に通知/汀 上流の提供元の条件による。現在の構成は上流の更新に追随し、更新の告知は当社に届く
  • 一度に送れる量の上限(レート制限) クラウゼル「通常のご利用で問題になることはございません」/アストラム 上限の値と、超えたときの動きを資料で提示/汀 上流の上限の値を提示
  • データの学習利用 3社とも「学習には使わない」。規約の条文の場所まで示したのは2社
  • 止まったときの約束(SLA) 3社とも、稼働率が保証を下回った月の利用料の一部を返す。業務が止まった損害は対象外

情報システム課の係長で、推進室を兼務する倉田誠が、2行目を指で叩いた。瀬尾の同期である。

「月末の締めで全社が一斉に聞いたら、上限に当たるかもしれない。『問題になることはございません』じゃ、計算ができないんだよ」

費用の見積もりも、並べると桁がそろわなかった。汀はアストラムのおよそ10分の1、クラウゼルはアストラムのおよそ10倍だった。

「汀が安すぎて、クラウゼルが高すぎるってこと?」

「桁が一つ違うときは、安い高いの話じゃない。数えてる件数か、入ってる作業が違うんだ」

森が、3社の見積もりの前提を読み比べた。汀は手順書だけを対象に、使う人を第一工場と品質保証課のおよそ100人で見ていた。アストラムは、全社員が一日に数回使う前提だった。クラウゼルには、申請を代行するエージェントの構築と、処理の能力を専用に確保する契約までが入っていた。

「同じものの値段じゃありません。前提をそろえて、うちで計算し直します」

営業部長の間宮の名前で届いたアストラムの回答書には、もう一つ気になる行があった。

アストラム・データ 回答書 7ページ

費用を抑えたい場合は、オープンソースのモデルもお選びいただけます。モデルの利用料はかからず、自由にお使いいただけます。

総務課で契約と規程を受け持つ主任の戸田美和が、そのモデルのライセンスを印刷して読み上げた。

「『利用者が一定の数を超える場合は、別途の許諾を要する』。『本モデルの出力を、他のモデルの学習に用いてはならない』。……追加で学習させたモデルを配っていいかは、ここ、書いてないですね」

「正確にはオープンウェイトです。学習済みの重みが公開されているだけで、学習に使ったデータも手順も出ていません。それに利用料がかからなくても、動かす計算機と、動かし続ける人の手間は、うちの持ち出しです」

その日の夕方、アストラムの技術者から電話があった。

「回答書の書き方が正確ではありませんでした。ライセンスに条件がありますので、お選びになる場合は、御社で条文をご確認ください」

3社の比較表の「書かれていないところ」には、まだ何が残っているだろう?

六月下旬 情報システム課

最後に、瀬尾は3社に同じ依頼を出した。当社の質問100件で、試させていただけますか。3社とも断らずに、試用の環境を用意してくれた。

100件は森が選んだ。カスタマーサポート課の過去の問い合わせから60件、社員が総務課と情報システム課に聞いてきた規程と手順の質問から40件。表の入った製品仕様書を引かなければ答えられないものも、実際の割合で混ぜた。1件ごとに答えに入っていなければならないことを書き、出典が正しい文書を指しているかも見る。形が崩れたり出典が抜けたりしたら、使う人がそうするように、もう一度実行する。上限は3回とした。

森は実行のたびに、送った量と返ってきた量をトークンで記録し、日付・モデル・プラン・検討量の設定も残した。

森の集計「当社の質問100件 試行結果」(六月二十四日〜二十六日に実施)

  • クラウゼル構成 単価は3社で最も安い。実行回数 計187回。形の崩れと出典の欠落による再実行が多い。必要な要素がそろった件数 76件
  • アストラム構成(中位のモデル) 実行回数 計112回。必要な要素がそろった件数 84件
  • アストラム構成(上位のモデル) 実行回数 計108回。必要な要素がそろった件数 87件。1件あたりの費用は中位を大きく上回る
  • 汀構成 実行回数 計115回。必要な要素がそろった件数 79件。表の入った仕様書の質問で見落としが多い

1件が完了するまでの費用(実測のトークン数×単価×実行回数)が最も高いのは、クラウゼル構成

「いちばん安い単価が、いちばん高くなったの?」

「1回ごとは安いんです。でも2回、3回と実行し直すと、そのたびに課金されます。比べるなら、1件が終わるまでの費用です。月の見込み件数を掛けて、試験と再試行の分を3割足した月額でも、順番は変わりません」

「実行し直すのは、画面の前の社員だ。その待ち時間は、どの見積もりにも入ってない」

上位と中位のモデルの差は、100件のうち3件だった。どれも、条件が入り組んだ仕様書の質問だった。問い合わせを担当部署に振り分けたり、急ぎかどうかの目安をつけたりする定型の質問では、小さいモデルに替えても結果はほとんど変わらなかった。

「上位を選ぶってことは、その3件のために、ほかの97件にも高い単価を払うってことだ。3件は、出典を見て人が確かめればいい」

瀬尾は、汀システムの技術営業の岸本優に電話をかけた。昨年度から、カスタマーサポート課の回答案を一緒に作ってきた相手である。

「CS課の回答案でも、振り分けみたいな定型のところは、小さいモデルに回せないでしょうか」

「試す価値はあります。ただ、御社の問い合わせで確かめてからにさせてください。それと今回の100件、表の入った仕様書は、やはり見落としが出ました。表のところは、うちの構成ではまだお約束できません」

クラウゼルの営業部長の黒江翔からも、結果を送った翌日に電話があった。全社員が使う社内チャット「コネクトAIアシスト」の提供元である。

「弊社の標準設定での結果かと存じます。本番では、朝凪様に合わせて調整いたしますので」

「調整したあとの結果を、同じ100件で見せていただけますか。調整の作業が見積もりのどこに入っているかも、あわせて伺いたいです」

月末までに、調整後の結果は届かなかった。

六月三十日 常務室

瀬尾は、選定の結論を一枚にまとめて大槻に出した。

社内ナレッジ検索 選定の結論(AI推進室)

アストラム・データの社内文書検索を、対象を絞って試行する。何に絞るかは、八月に共有フォルダを棚卸ししてから決める。モデルは中位を使う。業務アシスタント(申請の代行)は、何をさせるかが決まるまで見送る。

決め手 当社の質問100件の結果/版の固定と上限の値が示されたこと/1件が完了するまでの費用。比較表と記事の順位は使っていない。

分からないこと 表の入った仕様書の扱い。文書の版と権限の整理に、当社側でどれだけの作業が要るか。

参照した一次情報と日付は、別紙の参照記録のとおり。

「クラウゼルは外すのか。独自のモデルだぞ。全社のチャットは、あそこに頼んでるんだ」

「コネクトAIアシストの契約は、そのまま続きます。今回決めるのは、社内文書の検索です。クラウゼルさんの構成は、単価はいちばん安かったのですが、実行し直しが多くて、1件が終わるまでの費用はいちばん高くなりました。版も固定できません」

「汀は。去年からの付き合いだろう」

「岸本さんは、表の入った仕様書は未検証だと、最初からご自分で書いていました。100件でも、そこで見落としが出ました。CS課の回答案は、これまでどおり汀さんにお願いします」

大槻は、ランキング記事の紙を手に取り、掲載日のところで目を止めた。

「一年半前か。……黒江さんには、俺から伝える。外した理由を数字で言えるのは、ありがたい」

部屋を出ると、倉田が廊下で待っていた。

「3社とも、嘘は書いてなかったな。1位なのも、最安なのも、たぶん本当だ。書いてないことが多かっただけで」

「うん。余白のほうに、うちの話が全部あった」

瀬尾は手帳に書いた。「比較表は、余白から読む。載っていない項目は照会し、残りは自社の100件で埋める」