七月一日 常務室

社内文書検索の選定を終えた翌日、AI推進室の室長代理の瀬尾奈々は、常務の大槻修に呼ばれた。机の上に、クラウゼル・テクノロジーズの営業部長、黒江翔が置いていったという紙があった。

クラウゼル・テクノロジーズ「導入事例のご紹介 ミクモ工業様」

AI外観検査で、検査工数を半減。帳票処理の時間を70%短縮。同業の製造業様でも、すぐにお使いいただけます。

ミクモ工業は、朝凪精機と同じ計測機器の部品をつくるメーカーで、工場は隣の県にある。

「社内の検索では外れたが、工場のほうでお役に立てれば、だそうだ。同業で、検査が半分だぞ。見学の段取りもしてくれる。野口くんを連れて見てこい。他社はもうやってるぞ」

瀬尾は紙を二度読んだ。どの工程の話か、何か月の話か、測った数字か見込みか。誰が作った仕組みか。どれも書いていなかった。

「伺います。向こうで、条件を聞いてきてもよろしいですか」

「聞いてこい。ただし、結論を持って帰ってくれよ」

午後、情報システム課の係長の倉田誠と、聞くことを一枚にまとめた。倉田は推進室を兼務する、瀬尾の同期である。

「いちばん効くのは最後の一問だ。うまくいかなかったことは何ですか。本当に動かした人なら、いくらでも出てくる」

見学で伺うこと(AI推進室)

  1. 今も動いていますか。動き始めて何か月ですか
  2. 対象は、検査(帳票)全体の何割ですか
  3. 何年分の、どんなデータを使いましたか
  4. 準備にどれくらいかかり、今は何人で回していますか
  5. 人が確かめる工程は残っていますか。AIが処理できなかったものは、どこへ行きますか
  6. 「半減」「70%」は、何を、どう測った数字ですか
  7. うまくいかなかったことは何ですか

第一工場の品質保証課長、野口剛にも電話をかけた。六年前、外観検査の自動判定の見送りを書いた人である。

「行く。ただ、よそで動いたってだけじゃ、うちで動く話にはならんぞ」

七月十日 ミクモ工業 検査場

玄関で、黒江が待っていた。

「本日はミクモ工業様のご厚意で、特別にご案内いただけることになりました。弊社の導入事例でございまして」

案内に立ったのは、生産技術課長の楢崎だった。ミクモ工業でAIの取りまとめをしている人である。検査場の一角で、ベルトの上を流れる小さな金属のケースに、黒い覆いをかぶせたカメラが向いていた。画面には、ときどき赤い枠が出た。

瀬尾は、1枚目の1問目から聞いた。

「今も動いていますか。動き始めて、何か月になりますか」

「動いています。この一つの工程だけで、3か月です。半減というのは、最初の1か月に測った一個あたりの検査時間を、年間の数量に掛けて出した試算なんです。人の数は変わっていません」

「赤い枠が出たものは、どうされていますか」

「全部、検査員が見直しています。見逃しがいちばん怖いので、感度を上げて、はじき過ぎを人が拾う形です。見直しの時間は、半減の試算には入っていません」

野口が、はじめて口を開いた。

「不良の画像は、何枚あった」

「そこは運がよかったんです。この部品は三年前から、取引先の求めで不良品を捨てずに保管していました。それを全部撮りました。うまくいかなかったことで言うと、夏の西日です。窓からの光で誤検出が増えて、覆いを足しました。カメラの台と照明を決めるまでのほうが、AIを決めるより長くかかりました」

「結果を検査記録に書き戻すところは、どうされていますか」

「そこも手作業が残っています。正直、手間の半分以上はAIの外です」

瀬尾は黒江のほうを一度見てから、楢崎に聞いた。

「この検査の仕組みは、クラウゼルさんが作られたものですか」

「いえ。検査は、カメラのメーカーさんと、うちで作りました。クラウゼルさんにお世話になっているのは、帳票のほうです」

「弊社のお客様の事例として、あわせてご紹介させていただいております。次の段階では、合否の判定そのものもAIにお任せいただけます。規制の対象には該当しない設計でございますので」

「うちの製品の一部は、取引先の監査で、出荷の合否を誰がどう決めたかを見せることになってる。AIが決めました、じゃ通らん」

「該当しない、というご説明の根拠を、書面でいただけますか。当社で、総務から顧問の弁護士に確認して、所管の公表している情報も見ます」

「承知いたしました。持ち帰って確認いたします」

「うちも、合否はまだ人です。AIが出すのは、はじく候補まで。そこから先は、決めた人の名前を記録に残しています」

同じ日 ミクモ工業 購買課

帳票の仕組みは、購買課の係長が見せてくれた。取引先から届く納品書と請求書を読み取り、購買の台帳に入れる仕組みである。

「70%の短縮は、取引先3社の分です。書式が決まっていて枚数が多い3社で、全体の2割くらい。読み取った結果は、全部、人が確認しています。短くなったのは、打ち込む時間のほうですね」

「確認の時間を含めると、どうなりますか」

「そこは測っていません。すみません」

謝ることではなかった。誰にも聞かれなかったから、測っていなかっただけだ。

「うまくいかなかったことなら、始めた月にありました。読み取れなかった書類が、どこにも表示されずにフォルダに溜まっていたんです。取引先から支払いの問い合わせの電話が来て、4日目に気づきました。今は、読み取れなかったものを一覧に出して、担当者に通知が飛ぶようにしています」

「精度の話じゃなくて、処理できなかったものの行き先の話ですね。うちも、それを最初に作ります」

「確認のしかたも途中で変えました。金額と納期は全件、原本と見比べます。品名のようなほかの項目は、読み取りの確からしさが低いものだけです」

「間違えたときの重さで、確認の置き方を分けてるんですね」

係長は、次にやりたかったことも話した。読み取った納期を使って、取引先への返事をAIに自動で送らせる。楢崎が、首を横に振った。

「それは止めました。社外に出す返事は、間違えたら、うちの会社の回答になります。一度送った納期は、相手の生産計画に入ってしまう。取り返しがつきません」

「操作まで任せるかどうかは、3つで決められます。取り返しがつくか、例外がどれくらい出るか、一件間違えたときの影響がどれくらいか。納期の返事は、1つ目で止まりますね。社外に出すなら、さらに、AIの返事だと相手に分かるようにする、何をどう答えたか後から出せる記録を残す、人に渡す条件を先に決める。うちのお客様への回答は、送るのは人にしてます」

帰りぎわ、楢崎が瀬尾に言った。

「紹介のされ方が大きいのは、うちも少し困っていまして。聞いていただければ、全部お話しします。今日みたいに一つずつ聞かれたのは、初めてです」

見学した「成功事例」のどこまでが、朝凪精機にとっての証拠になるだろう?

帰りの車

運転は倉田だった。高速に乗ってしばらく、誰も口をきかなかった。助手席の瀬尾が手帳をめくっていると、後ろの席の野口がつぶやいた。

「あれは一つの工程の、3か月の話だ」

「でも、楢崎さんは何も隠していませんでしたよね」

「隠してない。だから分かった。不良品を3年分、捨てずに取ってあった。あれがあったから始められたんだ。うちは、はじいた品は月末にまとめて廃棄だ。写真は一枚もない」

「業種が同じでも、データの状態が違えば、同じ構成は成り立たないんです。見るなら、何年分あるか、どの細かさで記録してるか、途中で途切れてないか。そこがそろって、はじめて参考になる」

瀬尾は、経理課の請求書のことを考えた。月に300枚。取引先の数だけ書式があり、手書きのものも混じる。ミクモの70%を朝凪で試すなら、まず書式ごとに枚数を数えて、同じ2割がどこにあるのかを探すところからになる。

黒江の紙に書いてあったことは、どれも間違いではなかった。半減は試算として本当で、70%も打ち込む時間としては本当だった。一枚の紙に載るまでに、一つの工程、3か月、取引先3社、確認は全件、という条件が落ちていただけだった。

「持って帰れるのは、数字じゃなくて、うまくいかなかったことのほうだね。西日と、溜まった書類と、納期の返事を止めた理由」

「それと、画像がなけりゃ始まらん、ってことだ。六年前に俺が書いたとおりだ」

七月下旬 第一工場 品質保証課

黒江からの書面は、翌週に届いた。2枚にわたる一般的な整理で、どの製品の、どの判定についての話なのかは書いていなかった。瀬尾は、総務課で契約と規程を受け持つ戸田美和に渡し、顧問の早坂弁護士の相談枠で見てもらうことにした。急ぐ理由はなかった。これから試すのは、合否をAIに決めさせない形だからだ。

野口は、品質保証課の机に、六年前の綴りを開いて置いた。四月に倉庫で瀬尾が見つけた「検討結果」の原本である。

検討結果(品質保証課 記入 野口)六年前・抜粋

結論 見送り。理由 (1)撮影機材と計算機の費用が、見込める検査工数の削減を上回る。(2)学習に使える不良品の画像が足りない。

「1つ目は、変わってるかもしれません。カメラと計算の費用は、見積もりを取り直します。2つ目は、変わってない」

「変わってない。だから、撮るところから始める」

何を対象にするかを決めるのに、半日かかった。最終の外観検査には工程がいくつもあり、不良にも傷、欠け、打痕、汚れがある。

「全部を一度に見させるのは、ミクモさんでもやっていませんでしたよね」

「傷にする。いちばん数が多い。ほかは年に何個出るかだ。それじゃ写真が集まらん」

「見逃しと、はじき過ぎ、どっちを避けますか。両方いっぺんには減らせません。先に決めないと、精度の数字が読めない」

「見逃しだ。はじき過ぎは、人が見れば済む。見逃した傷は、お客さんのところで見つかる」

瀬尾は、購買課で聞いた4日間の話を出した。ぼけた画像や、光が映り込んだ画像のように、AIが判定できなかったものの行き先を最初に決めておく。3人でまとめた計画は、一枚に収まった。

第一工場 画像検査 小さな試験の計画(品質保証課・AI推進室)

  • 対象 最終外観検査のうち一工程。不良は「傷」の一種類だけ
  • 最初にやること はじいた品を、廃棄の前に撮る。撮影台と照明を固定し、窓の光を遮る
  • 避けたいのは見逃し。AIが出すのは、はじく候補まで。合否は検査員が決め、決めた人を記録する
  • AIが判定できなかった画像は「保留」の一覧に入れ、班長に通知する。保留の件数を毎週数える
  • 測るもの 見逃しの件数・はじき過ぎの件数・見直しを含めた一個あたりの検査時間。試す前に、今の検査時間を測っておく
  • 止める条件 年度末までに、判定を試せるだけの傷の画像が集まらなければ、判定の試験には進まない。撮影は続ける

この計画は、六年前の検討結果の後ろに綴じ、何が変わって何が変わっていないかを書き足す。

野口は、綴りを閉じる前に、見送りの理由の2行目を指でなぞった。

「六年前の俺は、画像が足りないと書いて終わった。足りないと分かってるところから始めるのは、初めてだ」

その週のうちに、第一工場の検査場の隅に、撮影台が一つ置かれた。

大槻への報告は、一枚にした。

ミクモ工業 見学の報告(AI推進室)

検査工数の半減は、一工程・稼働3か月・試算の値。帳票の70%短縮は、定型書式の取引先3社(全体の約2割)の、打ち込む時間。当社は、傷の画像を集めるところから始める。判定の試験に進むかは、年度末に決める。

「半分、じゃないのか」

「ミクモさんでも、半分は一つの工程の試算でした。当社には、その一つの工程で使える写真が、まだ一枚もありません。撮るところからです」

「……野口くんが自分で撮ると言ったなら、それでいい」

瀬尾は手帳に書いた。「よその成功は、条件ごと持ち帰る。『それは、どの範囲の、何か月の話ですか』」