四月一日 本社大会議室
株式会社朝凪精機は、産業用の計測機器とセンサー部品をつくる、従業員およそ480名のメーカーである。本社のほかに、組立と検査の第一工場、部品加工の第二工場、営業所が3つある。期初の全社集会は毎年、本社の大会議室と各拠点を画面でつないで開かれる。
その年、社長の久住誠一は、挨拶の最後に一枚のスライドを映した。
「三か年計画の柱は一つだ。三年で、間接業務の半分をAIに置き換える」
続けて、四月付でAI推進室を新設すると発表された。室長は常務の大槻修が兼ね、室長代理に経営企画部の瀬尾奈々、情報システム課の係長の倉田誠が兼務で入る。
瀬尾はエンジニアではない。昨年度の一月にAI活用推進担当を兼務で任され、3か月かけて、仕組みを一つだけ入れた。カスタマーサポート課に届く月2,400件の問い合わせのうち、型番A系のものから、AIが回答の下書きを作る。送るのは人。稟議書の最後には一行を書いた。「効果は毎月5つの数字で測る。六月末に基準へ届かなければ止める」。その仕組みは、今月から本番で動き始めたばかりだった。全社員向けには、昨年度の二月から、ベンダーのクラウゼル・テクノロジーズが提供する社内チャット「コネクトAIアシスト」も使われている。
集会のあと、同期の倉田が隣に来た。
「言ったろ。来年はもっと大きい話が来るって」
「半分って、何の半分なんだろうね」
「それを聞くのが、室長代理の仕事だろ」
午後、大槻に呼ばれた。机の上に、先月の講演会で配られた資料があった。
「講師がはっきり言っていた。三年後には仕事の半分が消える、とな。他社はもう動いてるぞ。二十日の取締役会で計画の骨子を出す。今年から社外取締役が一人入る。監査法人にいた人だ。講師には、計画の助言も頼もうと思っている」
講演資料 12ページ
三年後、仕事の半分が消える(※各種調査より)。今年度中に着手しない企業は、取り残される。遅れは、二度と取り戻せない。
瀬尾は、その一枚に書かれていないものを数えた。何の半分なのか。どの調査なのか。遅れると、何が、どれだけ不利になるのか。期限だけが、はっきり書いてあった。
翌週 本社地下の倉庫
推進室の部屋には、机が4つと空の棚が1つ運び込まれただけだった。ホワイトボードを探しに地下の倉庫へ下りた二人は、奥の棚で、埃をかぶった端末を見つけた。側面に色あせたテープが貼ってあった。「受注転記ロボ 二号機 触らないこと」。
「七年前に入れた業務自動化ロボットだ。営業所から届く注文の表を、販売管理システムの画面に打ち込む。人の操作を一つずつ記録して、そのとおりに再生する仕組みだった」
「なんで使わなくなったの」
「販売管理の画面が改修で少し変わって、ボタンの位置がずれた。ロボットは止まった。手順を覚えさせた担当は異動してて、直せる人がいなかった。2か月で、みんな手入力に戻った。俺が知ってるのは、たまたま隣の席だったからだ。やめた理由は、どこにも書いてない」
同じ棚に、厚い手引書があった。二十年前に開発部が入れた設計支援システムのもので、ベテランの判断を「この条件なら、この部品」という規則にして、人が一件ずつ書き込む方式だった。最後のページに改訂の履歴があった。
設計支援システム 利用の手引き 改訂履歴
登録済みの規則 812件。新旧の規則に矛盾が見つかったため、確認が済むまで規則の追加を停止する。担当者の退職に伴い、当面は現状のまま運用する。
「世の中でも同じだよ。AIが騒がれたのは今回が初めてじゃない。前の2回も、つまずいたのは技術そのものより、規則を書き出す手間と、直し続ける人と、データの準備だった」
「じゃあ、今回は何が違うの」
「4つある。使う側の費用が下がった。長い文の要約みたいに、性能が実用の線を越えた。つなぐ道具や、社内の文書を読ませる仕組みがそろった。それと、誰でも知ってる。社長が号令をかけられるくらいに」
「最後のは両刃だけどな。確かめてない話も通りやすくなった。それに、全部が新しいわけじゃない。翻訳はうちでも五年前から取扱説明書の下訳に使ってるし、画像で見分けるのだって、生成AIが流行る前からある」
「『今回は過去とは違う』って言われたら、どう聞けばいい?」
「何が違うのかを、具体的に言ってもらう。今みたいに4つ挙がるなら材料になる。『今回は本物です』で止まったら、前の2回と同じ台詞だ」
瀬尾は、隣の棚の背表紙に目を留めた。品質保証課のファイルで、「外観検査 自動判定 検討結果」とあった。六年前の日付だった。
検討結果(品質保証課 記入 野口)
結論 見送り。理由 (1)撮影機材と計算機の費用が、見込める検査工数の削減を上回る。(2)学習に使える不良品の画像が足りない。再検討の目安 機材と計算の費用が下がったとき。少ない画像で学べる方法が使えるようになったとき。
その日の夕方、瀬尾は第一工場の品質保証課長、野口剛に電話をかけた。
「書いたのは俺だ。前提が変わったかどうかなら、見てもいい。ただし、現場を見てから言ってくれ」
ロボットには、やめた理由が残っていなかった。検査の自動判定には、残っていた。残っていたほうだけが、もう一度検討できる。
四月二十日 役員会議室
取締役会で、大槻は計画の骨子を一枚で説明した。「三年で間接業務の半分をAIに」。社長は腕を組んだまま聞いていた。瀬尾は説明の補助として、壁際の席にいた。
新任の社外取締役、片桐玲が手を挙げた。
「三年で半分、の数字の出どころは、どこでしょう」
「外部の講演です。三年後には仕事の半分が消える、と言われていまして」
「その半分は、業務の数ですか、時間ですか、人ですか。全部を置き換えるのか、一部を手伝わせるのか。どの国の、どんな技術を前提にした話でしょう」
大槻が、瀬尾のほうを見た。
「講演の資料には『各種調査より』とだけありました。当社の業務で何の半分なのかは、まだ誰も数えていません。2週間いただけますか。主な業務の件数と処理時間を測って、業務ごとの計画に置き換えてお持ちします」
片桐は、それ以上は聞かずにうなずいた。会議のあと、廊下で大槻が言った。
「答えられなかったのは俺だ。2週間で持ってこい。結論から頼むぞ」
「三年で半分」という目標を計画に書く前に、何を確かめるべきだろう?
四月下旬 AI推進室
瀬尾はまず、講師の事務所に2つの質問を送った。遅れると、当社の業務で具体的に何がどれだけ不利になるのか。ご自身が実際に手を動かされたのは、どの範囲か。昨年度の一月、社内講演に来たAI戦略アドバイザーにも同じことを聞いた。そのときは、答えがなかった。
講師の事務所からの返信(抜粋)
製造業全体の傾向として、各種調査が示すとおり、間接業務の多くが自動化の対象になり得ます。本年度中に着手されない場合、挽回は難しくなるかと思います。なお、弊職は全社戦略の立案を担当しており、実装と社内データの整備は、各社の専門チームにお任せしております。
「業界一般の話と、期限だけだな。朝凪の業務は一つも出てこない」
「でも、2つ目の答えは役に立つよ。助言を頼むなら、全体の整理のところ。データの整備と、動かしたあとの保守は、うちで持つって決まるから」
相手を試すための質問ではなかった。どこを自分たちで補うかを決めるための質問だった。大槻は、助言の依頼を急がないことにした。
同じ週から2週間、各部に、主な業務の月間件数と1件あたりの処理時間を記録してもらった。問い合わせ対応は月におよそ2,400件、経理の請求書の入力は月300枚。受注入力は営業所ごとに数え方が違い、そろうまでに時間がかかった。「うちの仕事は件数では測れない」と答えた部署もあった。
カスタマーサポート課では、課長の村瀬早苗が、昨年度から続けている「AI案」と「担当者確認」の2列の記録を出してくれた。確認にかかる時間まで入っているのは、この課の数字だけだった。
途中で、大槻から内線が入った。
「測っている間に、他社は先に行くぞ」
「測らないと、半分が何の半分なのかも決まりません。測るのは2週間です。止まっているのではなくて、着手の一歩目です」
集計の途中で、瀬尾は取扱説明書の下訳のことを倉田に聞いた。去年の秋、翻訳の提供元がサービスの形を変えて移行が必要になったが、1週間かからずに済んだという。
「呼び出しを自分たちのコードで包んでたから、直すのは1か所。確かめ用の訳文を100本持ってたから、移行先の訳と並べて比べられた。原稿と設定は、うちのフォルダにあった。どれも移行のために作ったんじゃない。毎日の運用に要ったから作っただけだ」
「三年後に何が来ても効くのは、そういうほうなんだね」
四月三十日 常務室
瀬尾が大槻に出したのは、目標の数字ではなく、2枚の紙だった。
三か年計画 実施案(AI推進室)1枚目 業務ごとの見直し時期
- 問い合わせの回答案(型番A系から。問い合わせは月約2,400件) 本導入中。六月末に5つの数字で、続けるか止めるかを決める
- 第一工場の外観検査 六年前に費用で見送り。見送りの理由にあった機材と計算の費用、必要な画像の枚数が変わったかを、七月までに確かめる
- 経理の請求書入力(月約300枚)ほか 件数と処理時間を実測中。五月末までに埋める
三年後の見通しは幅で持つ。半年ごとに見直し、費用・精度・件数の前提が変わったときは、その時点で見直す。
同 2枚目 過去の導入で残ったもの・消えたもの
- 消えた 業務自動化ロボット(七年前) 画面の改修で止まり、直せる人がいなかった。やめた理由の記録なし
- 消えた 設計支援システム(二十年前) 規則を書き足す人がいなくなった
- 縮んだ 議事録の要約ツール(昨年) 出力の形式が社内の議事録と合わなかった。形式を変えたカスタマーサポート課でだけ使われている
- 見送った 外観検査の自動判定(六年前) 理由の記録あり。再検討できる
- 残った 取扱説明書の下訳(五年前から) 提供元の変更による移行が1週間かからずに済んだ
- 続いている 問い合わせの回答案(今月から) 止める条件が書いてある
「結論から頼む。三年で半分は、できるのか、できないのか」
「今は、どちらとも言えません。言えるのは、どの業務をいつ見直すか、です。三年後の姿は一つの数字ではなく、うまくいけばここまで、届かなければここで止める、という幅で書きました」
「それと、2枚目です。消えたものは、どれも技術が古かったから消えたのではありませんでした。直す人と、やめた理由の記録がなかったからです」
大槻はしばらく、2枚目を見ていた。
「このロボットの稟議は、俺が通した」
それだけ言って、大槻は2枚を取締役会の資料の束に入れた。
瀬尾は手帳に書いた。「将来の数字は、出どころと見直す日がそろってから計画に書く」