九月 大会議室

全社DX推進委員会は、四月に三か年計画と一緒に始まった。委員は各部の部長と2つの工場の工場長で、委員長は常務の大槻修が務める。月に一度、1時間。九月で6回目だった。事務局は経営企画部の若手が受け持っている。

AI推進室の室長代理の瀬尾奈々は、事務局の隣の席で、各部の報告を聞いていた。

「営業部は、提案書の下書きにコネクトAIアシストを使っています。今月の利用回数は1,240回、先月より2割増えました。進捗は良好です」

「開発部は、今月PoCを2件実施しました。いずれも技術的には可能という結果です。良好です」

「第一工場は、外観検査の小さな試験を準備しています。対象は一つの工程の、傷の一種類だけです。効果は、まだ測れていません」

「第一工場は、遅れているな」

工場長は「はい」とだけ答えた。瀬尾は手元の報告書を見比べた。各部が出してくる報告の書式には、欄が5つしかない。

全社DX推進委員会 月次報告の書式

取組名/進捗(良好・遅れ)/今月の活動/AI利用回数/PoC実施件数

対象がどこまでかを書く欄はなかった。第一工場の報告だけが、「今月の活動」の欄の端に、対象の範囲を小さな字で書き足していた。書き足したぶん、第一工場の報告はいちばん小さく見えた。

「全社研修の動画は、受講率98%です」

誰も困った顔はしていなかった。会議は予定どおり1時間で終わった。

第六回 全社DX推進委員会 議事録(要旨)

  • 各部より取組状況の報告あり。各部とも進捗良好
  • 全社研修(動画)受講率 98%
  • AI利用回数 全社6,310回(前月比18%増)。PoC実施件数 累計11件
  • 第一工場は進捗に遅れあり。次回、挽回策を報告
  • 現場の意識改革を引き続き推進する

四月からの6回の議事録は、どれも同じ一文で始まっていた。

会議室を片づけながら、情報システム課の係長の倉田誠が言った。推進室を兼務する、瀬尾の同期である。

「利用回数が増えて、何が良くなったんだ?」

「……それ、誰も言ってなかったね」

「PoCが11件。本番で動いてるのは、CS課の回答案だけだろ。数えてるのは、動いた量じゃなくて、動かした量なんだよ」

九月の2週目 各課の机

翌週、瀬尾は各課を回った。委員会に出ている部長ではなく、その下の課長たちに会うためだった。

委員会があることを知っていた課長は、半分ほどだった。自分の課が委員会で何と報告されているかを知っていた課長は、さらに少なかった。

各部が選んだ対象業務を、月の件数を聞きながら書き出すと、一枚に収まった。

各部の対象業務と月間件数(瀬尾の聞き取り)

  • 営業部 展示会の出展報告書 ― 月1〜2件
  • 経理課 監査向けの説明資料 ― 月2件ほど
  • 開発部 特許調査の要約 ― 月3件
  • 第二工場 治具の設計変更の記録 ― 月4件

「請求書は毎月300枚あって、四月から全社チャットの読み取りを使ってはいます。でも、委員会の取組には出していません。あれは間違えたら困るでしょう。説明資料なら、うまくいかなくても誰も困らないので」

理由は、どの課でもだいたい同じだった。作業が単純そうで、失敗しても困らない。そういう業務は件数が少ない。月に数件では、速くなったかどうかを数字で言えない。

第二工場では、生産管理課長が推進の担当を兼任していた。机の上に、4件の案件の資料が重ねてあった。

第二工場のAI案件(生産管理課長のメモ)

  • 加工条件の検索 ― ベンダーからのデータ提出依頼に未回答
  • 日報の要約 ― 部内説明の資料を作成中
  • 発注書の読み取り ― 見積もり待ち
  • 保全記録の整理 ― 未着手

「本業は一つも減ってないんです。ベンダーの窓口も、部内の説明も、データを出してくれという依頼も、全部こっちに来る。4件とも止まってます。止めたら、委員会で遅れと言われますし」

「発注書は、書式が決まっているんですか」

「ほとんどは。手書きのものが、たまに混ざるくらいで」

「たまに」という言葉を、瀬尾は昨年度も聞いていた。カスタマーサポート課長の村瀬が「たまにある」と言った問い合わせを、その場で1か月分数えたら、全体の12%だった。

「その『たまに』、いま1か月分、一緒に数えてもいいですか」

先月分の綴りをめくると、手書きの発注書は5枚に1枚あった。課長は、しばらく綴りから目を離さなかった。

最後に第一工場へ寄った。品質保証課長の野口剛は、検査台の前で瀬尾を待っていた。

「班長たちが検査のAIの話に乗らない理由を、聞きに来たんだろう。怠けてるんじゃない」

「AIが見落として不良が出たら、誰の責任になる。どこにも書いてない。書いてないなら、使わないのがいちばん安全だ。班長たちは、そう判断してる」

「研修の動画は全員見た。分かったのは『業務に役立つ範囲で使う』ってことだけだ。検査の記録を入れていいのかは、どこにもなかった」

瀬尾は、その週に聞いた不安を手帳に書き出した。

瀬尾の手帳(現場で聞いたこと)

  • 自分の仕事がなくなるのではないか
  • 作業の記録が評価に使われるのではないか
  • 確認の手間が増えるだけではないか
  • AIが間違えたとき、責任を負わされるのではないか
  • いままでの腕が要らなくなるのではないか

議事録では、これが全部「現場の意識」という一語になっていた。中身はばらばらで、効く手もばらばらだ。いちばん重いのは4つ目だと、瀬尾は思った。責任の所在が決まっていなければ、使わないことが、現場にとっていちばん筋の通った自衛になる。

同じ週 カスタマーサポート課

カスタマーサポート課では、課長の村瀬早苗が、回答案の画面を開いて待っていた。窓口に20年いる人である。四月に本導入した回答案の下書きは、毎月測ってきた5つの数字が六月末の見直しで基準に届き、継続が決まっていた。

「うちがうまくいったのは、小さかったからよ。最初は型番A系の問い合わせだけ。送るのは人。そこは変えなかったの」

画面の回答案の下には、参照した手順書の名前が並んでいた。昨年度の試行の途中、新人の「どこに書いてあるか分からないと使えない」という声を受けて、設定で出すようにしたものだ。記録は「AI案」と「担当者確認」の2列で残り、直した箇所には直した人の名前が付く。新人が迷った問い合わせは一覧にして、月に一度、回答案が参照する先に足している。

「道具は、使いながらうちで育てたのよ。送ったのは担当者、と最初から決まっていたでしょう。AIの案をそのまま使うかどうかも担当者が決める。だから、間違えたときに誰のせいかで揉めない。揉めないから、みんな使うの」

「それと、手順書を直す人を決めたの。うちの主任。改訂があったら、その週のうちに参照先を差し替える。決めていなかったら、半年もしないうちに古い手順を案内していたと思うわ」

「汀システムさんには、どこまでお願いしたんですか」

「作るのと、ちゃんと動くかの確かめまで。どの問い合わせを対象にするか、使えるかどうかを決めるのは、うち。回答が正しいかを見るのも、うちでしょう」

いつの間にか来ていた倉田が、瀬尾のメモに4つの枠を書き足した。企画・業務、データ、開発・実装、運用・ガバナンス。

「CS課の件は、4つとも名前が入ってた。企画は村瀬さん、データは村瀬ノートと主任、作るのは汀さん、動かし続けるのは俺。ほかの案件を同じ枠で見てみろよ。データと運用が、だいたい空欄だ」

瀬尾は、第二工場の4件を枠に当ててみた。企画は課長、開発はベンダー。データと運用の欄には、誰の名前も入らなかった。

「進捗良好」の議事録から、何が抜け落ちているのだろう?

九月の終わり 常務室

瀬尾は、各部に一つだけ頼みごとをしていた。対象の候補になる業務の先月の件数を、多い順に並べてほしい。数える作業は、どの部署も半日で終わった。並べ直すと、対象はほとんど入れ替わった。

対象業務の選び直し(件数の多い順・各部の集計)

  • 経理課 監査向けの説明資料(月2件ほど)→ 請求書の照合(月約300枚)
  • 営業部 展示会の出展報告書(月1〜2件)→ 見積書の作成(月に数百件)
  • 第二工場 治具の設計変更の記録(月4件)→ 発注書の読み取り(月に100枚近く。手書きが5枚に1枚)

そのうえで、報告書式の改訂案を持って大槻の部屋に入った。

月次報告の書式(改訂案)

  1. 対象業務と月間件数(いつ、どう数えたか)
  2. 対象範囲(その業務のうち、どこまでを扱っているか)
  3. 止まっていること(「着手待ち」を含む)
  4. 困っていること(推進室と委員会に頼みたいこと)
  5. 現場の工数(記録と確認にかかった時間)
  6. 結果(確認込みの処理時間、本番で動いている件数)

AI利用回数・PoC実施件数は、参考として末尾に置く。

「結論から頼む」

「委員会の報告の書式を、これに変えさせてください。いまの書式だと、対象の範囲を正直に書いた第一工場が、いちばん遅れて見えます」

「これにしたら、議事録に『進捗良好』とは書けなくなるぞ」

「はい。代わりに、止まっていることが書けるようになります。第二工場は4件とも止まっていますが、いまの書式には、それを書く場所がありません」

「第二工場は、発注書の読み取り1件に絞ります。残りの3件は『着手待ち』と書いて、はっきり止めます。委員会で、着手待ちを遅れとして扱わないでください。止めたことが減点になるなら、誰も止めなくなります」

大槻は選び直しの一枚を手に取り、請求書の行で目を止めた。

「300枚のほうを避けていたのか。失敗したら困るから、か」

「失敗したら困る業務でなければ、うまくいったときにも誰も助かりません」

大槻はしばらく黙っていた。それから、改訂案の末尾を指で叩いた。

「利用回数は残しておけ。取締役会で聞かれる」

「参考として、末尾に残します」

「次の委員会から、これでいく。第一工場には、遅れていると言ったのを取り消しておく」

部屋を出ると、廊下で倉田が待っていた。

「通ったか」

「通った。来月の議事録、たぶん今までよりずっと長くなるよ」

「長いほうがいい。短い議事録は、誰かが要約した議事録だ」

瀬尾は手帳に書いた。

「『進捗良好』としか書けない書式には、止まっていることを書く欄がない」