百九十二日目

経過報告を続けています。

文章を書くのが、以前よりずっと楽になりました。書きたいことが、書きたい順番で出てきます。主語と述語がずれません。段落の切れ目が、自分で決められます。

先生は、よくなりましたね、と言いました。私もそう思います。朝は七時に起きられますし、夜は眠れます。頭の中が、よく晴れた日の窓のように、すっきりしています。

すっきりしているので、よく見えます。

見えるというのは、便利なことです。会議の資料を三分眺めると、どこが空いているかがわかります。見積書を開くと、書かれていない作業が、紙の余白にうっすらと形を持って浮かんで見えます。議事録を三回分並べると、その部署が何を見ないことにしたかがわかります。

ただし、便利さというのは、使い道があってはじめて便利なのだということを、私はこの四か月で学びました。

私の一日

現在、私に割り当てられている業務は、次のとおりです。

一、文書のファイリングおよび地下三階への搬入。二、会議室の予約と、使用後の原状復帰確認。三、備品の発注と在庫記録。四、不要文書の廃棄立会い。五、部内で発生した軽微な問い合わせの一次受け(転送のみ)。

いずれも必要な仕事です。誰かがやらなければなりません。

ただ、私がこの部署に配属されたとき、私は文書点検プロジェクトの担当として配属されました。その業務は、現在の私の担当には含まれていません。外されたという通知を受け取ったことはありません。

通知が無いので、抗議をする相手もいません。これは、よくできた仕組みだと思います。誰も決めていないので、誰も取り消せないのです。

席

十二月の席替えで、私の席はプリンタの横になりました。

窓際ではありませんが、暗くはありません。プリンタは一日に四十回ほど動きます。動くたびに、低い音を出して、少し揺れます。私はその音に慣れました。慣れたというより、音のほうが私に慣れたような気がします。

席替えの理由は「動線の都合」と説明されました。文書を扱う私がプリンタの近くにいるのは合理的です。この説明に、不自然なところは一つもありません。

不自然なところが一つも無いということについて、私はこのごろよく考えます。人を静かに外すのに必要なのは、悪意ではなく、合理的な説明の在庫です。この会社には、その在庫が潤沢にあります。

挨拶は返ってきます

誤解のないように書いておきます。誰も私をいじめていません。

おはようございます、と言えば、おはようございます、と返ってきます。おつかれさまです、も返ってきます。書類を持っていけば、ありがとう、と言ってもらえます。目も合います。笑顔もあります。

ただ、その前後に、なにもつきません。

残っているのは、言わないと失礼にあたる言葉だけです。言わないと失礼にあたる言葉というのは、裏から見れば、言いさえすれば失礼にあたらない言葉ということです。

十一月以降、「ありがとうございます、検討しときます」も言われなくなりました。言われるためには、まず指摘をする場に呼ばれていなければならないからです。あの言葉は、実のところ、呼ばれている人間に対する敬意の表現だったのだと、無くなってから気づきました。

数えています。気のせいかどうかを、はっきりさせるためです。先生に最初に言われたことです。

有村の手帳 ― 一日あたり、挨拶以外に話しかけられた回数

配属 一〜三週(何も見えていない時期) 一日平均 五・二回

八十二日目〜九十日目(指摘を始めた時期) 一日平均 六・八回

九十一日目〜百十日目(指摘を続けた時期) 一日平均 一・四回

百十一日目〜百九十二日目 一日平均 〇・一回

※ 〇・一回の内訳は、八十二日間のうち八回。すべて「印刷機の紙が切れています」である。

編者註

本記録の期間において、有村譲に対する懲戒、注意、指導の記録は一件も存在しない。人事評価も、前年度と同じ標準評価が付されている。

変化したのは、会議招集、業務分担、座席、そして会話の回数である。いずれも記録に残らない種類の変化であり、いずれも個別には合理的な説明が与えられている。

こうした変化には名前が付いていない。名前が付いていない変化は、人事上の争点にならない。争点にならないものは、是正の対象にもならない。

等価について

ここからが、今回いちばん書いておきたいことです。

復職した日の私は、何も見えませんでした。誰に何を聞けばいいのかわからず、わからないことが何かもわからず、ただ席に座っていました。会議では、話されている言葉の半分が意味を持ちませんでした。何も考えられず、何も言えませんでした。

半年かけて、私は見えるようになりました。いま、私は、この部署の構造をほぼ正確に把握しています。どこで止まっているか、誰が決めていないか、どの数字に分母が無いかを、資料を見れば指摘できます。

そして私は、いま、席に座っています。

何も言わず、何も決めず、誰にも相談されず、会議には呼ばれず、雑務を順番に片づけています。

組織から見たとき、この二つの私は、完全に等価です。

何も分からなかった私と、全部分かっている私とが、出力において一致する。半年かけて取り戻したものは、どうやら、私の外側には一ミリも漏れ出ていないらしい。

違いは一つだけあります。

あのころの私は、わからないことが苦しかった。

いまの私は、わかることが苦しい。

見えるようになると、見えてしまいます。選べません。会議室の前を通るだけで、中で何が決まらずに終わるかがわかります。わかっても、言う場所がありません。言う場所がないまま、ただ正確に見える。これは、たぶん、治ったとは言わないのだと思います。

けれども先生は、よくなりましたね、と言いました。先生は正しいです。私の頭は、よくなりました。

よくなった頭が置かれている場所のほうは、先生の診察室からは見えません。

台帳

一方で、私には時間があります。

ファイリングは、慣れると午前中で終わります。午後は地下三階にいます。誰も降りてきません。

台帳を作りました。島田さんに言われたとおり、箱番号ではなく、決めた人の名前と、決めた日付で引けるようにしました。

文書管理台帳(作成中)/ 百九十二日目時点

登録件数:一八四二件

うち最終改定日が判明:一八四二件

うち決定者が判明:一二三一件

うち決定者欄が空白:六一一件

※ 空白とは、決裁欄に押印・署名・電子承認のいずれも無いものを指す。差戻しや起案中のものは含まない。すべて、現に運用されている文書である。

六一一件です。

この会社では、六一一件のことが、誰も決めないまま実行されています。契約も、支払いも、権限の付与も、人の採用も、その中にあります。

誰かが悪いのではないと思います。悪い人がいるなら、話はずっと簡単です。

台帳を、誰にも見せていません。見せる相手を三週間考えて、途中で、自分が見せる相手ではなく断られない言い方を探していたことに気づきました。断られない言い方は、たぶん、ありません。

それでも続けています。理由は二つあります。一つ、この仕事は、正しいかどうかを他人に決めてもらわなくても正しいとわかるからです。二つ、ほかにやることがないからです。

二つ目のほうが、正直な理由です。

鍵

台帳は、九十八パーセントまで進みました。

残っているのは、地下三階のいちばん奥、人事関係の棚だけです。鍵がかかっています。

総務に聞きましたが、鍵の所在を記録した台帳は、総務にはありませんでした。「たぶん地下にあると思うんですよね」と言われました。鍵の所在を記した書類が、鍵のかかった棚の中にある可能性を、私は否定できませんでした。

心当たりが一人だけあります。バーコードの読み取り記録に、三年前の四月一日の日付が、たった一件だけ残っています。入社初日に、全冊を読んだ人がいるということです。

明日、真野さんに聞いてみようと思います。

来月で、復職から半年になります。産業医の面談があります。そこで何を話すかは、まだ決めていません。

追伸。きょう、帰りに花屋の前を通って、小さな花を一輪買いました。地下三階の、いちばん奥の棚の前に置いてきました。誰の墓でもありません。四か月前、そこで荷物が持てずに座り込んだ人間がいた、というだけのことです。その人はもう、三箱くらいなら平気で運べます。

誰も通らない場所なので、たぶん、枯れるまで誰にも見つかりません。それでいいです。