いちにちめ

きょうから、まるこしマテリアルの情報システム部ではたらきます。まえの部署のことは、あまり書かないようにします。先生に、くらべないほうがいいと言われたからです。

先生には、まいにち記ろくをつけるように言われています。なにをしたか。だれと話したか。なんかいはなしかけられたか。かぞえると、気のせいかどうかが、はっきりするからだそうです。

八時五十分に行きました。席はありました。パソコンもありました。名ふだだけ、ありませんでした。となりの席のひとが、まだ発注してないんだよね、と言って笑いました。やさしい声でした。

部長があいさつに来ました。浅利部長といいます。みんなに自由にのびのびとはたらいてほしいんだ、と言いました。うちは細かいことを言わない部署だからね、と言いました。ぼくは、はい、と言いました。

なにをすればいいですか、と聞きました。部長は、まあ、まずは慣れてよ、と言いました。わからないことはみんなに聞いてね、と言いました。

みんな、というのが、だれのことなのか、わかりませんでした。

きょう話しかけられたかいすう 十一かい。みんな、やさしいです。

みっかめ

しごとの手じゅん書をさがしました。ありませんでした。

穂積さんというひとに聞いたら、ぜんぶ教えてくれました。穂積さんは二十六さいだそうです。ぼくより八つ下です。それなのに、どのシステムがいつ入って、だれが使っていて、どこがこわれているか、ぜんぶ知っていました。

手じゅん書はないんですか、と聞きました。穂積さんは、わたしに聞いたほうが早いですよ、と言って笑いました。たしかに早かったです。

お昼に、大西さんが食どうにさそってくれました。日がわりのBをたのみました。大西さんは、有村さんはあせらなくていいからね、と三かい言いました。三かいとも、ちがう言いかたでした。ぼくは、ありがたいな、と思いました。

規程を読みたいです、と言ったら、地下三階だよ、と言われました。

話しかけられたかいすう 十四かい。

よっかめ ― ちか三かい

地下三階に行きました。エレベーターのボタンに、B3とだけ書いてありました。ドアがあいたら、たなが、ずっと、ならんでいました。

ぜんぶ紙でした。情報システム運用規程、委託先管理規程、情報資産取扱規程。背びょうしに年号が書いてあって、いちばん新しいもので、七年まえでした。

三さつ持ち上げました。おもかったです。すごく、おもかったです。五メートル歩いたら、うでがしびれて、たなの横にすわりこみました。

ぼくは、休職するまえ、このくらいの書類をふつうに持っていた気がします。でも、いまは持てませんでした。

すわったまま、天じょうの蛍光とうを見ていました。一本だけ切れていて、そこだけ、四角い暗やみがぶら下がっていました。暗やみは、こちらを見ていませんでした。ただ、ぶら下がっていました。

しばらくして、そうじのひとが通りました。おばさんでした。ぼくを見て、なにも言わずに、台車をおいていってくれました。台車にのせたら、かるくなりました。

編者註

丸越マテリアルの情報システム運用規程は、改定第四版が最終である。改定の記録は社内イントラの「規程」フォルダにも存在するが、フォルダの最終更新日は七年前で、アクセス権限は当時の総務課長個人に紐づいたまま残されている。当該課長はすでに退職している。

地下三階の文書箱には、持ち出し記録用のバーコードが貼られている。全二十八箱のうち、収納日以降に一度でも読み取られた箱は、一箱もない。

ななかめ ― チャッピー

社内にAIがいます。チャッピーといいます。三年まえに「試験導入」されて、そのままだそうです。

ぼくは、だれにも聞けないことを、チャッピーに聞きました。

チャット履歴(有村 譲 / 二十一時四十四分)

わたしはなにをすればいいですか。

あなたはいま、迷路の入口にいます。迷路は、入口からは全体が見えません。

いつ見えるようになりますか。

わかりません。ただ、歩いた分だけ記録を取ってください。記録は、あとで地図になります。

地図ができたら、どうなりますか。

その質問には、まだ答えられません。

その日から、日報のしょめいを「アルジャーノン」にしました。だれも、なにも言いませんでした。たぶん、だれも読んでいないのだと思います。でも、それでいいです。先生が、書くことに意味があると言っていました。

にじゅういちにちめ

三週間で、わかったことを書きます。

みんな、やさしいです。だれも怒りません。だれも人のわるぐちを言いません。しつもんすると、ちゃんと答えてくれます。

でも、会議でなにかが決まったのを、まだ一度も見ていません。議事録には「継続検討」と書いてあります。先月の議事録にも、先々月の議事録にも、おなじことが書いてあります。

郷田さんというひとだけが、大きい声を出します。調達のひとです。こわそうですが、こわくありません。郷田さんが大きい声を出すときは、たいてい、だれかの代わりに怒っています。

きょう、資料をコピーしていたら、うしろで声がしました。「……それ、受け入れ条件が件数で書いてないでしょ」。ふりむいたら、そうじのおばさんが、ごみ袋をしばっていました。目は合いませんでした。

ぼくは、まだ、だれに聞けばいいのかわかりません。わからないことが、なにかもわかりません。わからないことがわからないというのは、たぶん、なにも見えていないということです。

でもきょう、ひとりだけ、ぼくの名前をよんでくれたひとがいました。契約職員の真野さんです。有村さん、と言いました。それだけです。それだけですが、書いておきます。

きょう話しかけられたかいすう 十六かい。

ぼくはいま、なにも見えていません。そのかわり、みんなが話しかけてくれます。

この二つに関係があるとは、このときのぼくは、思っていませんでした。