いちにちめ

きょうから、まるこしマテリアルの軌道事業所ではたらきます。地上から、往還機で三日かかりました。まえの部署のことは、あまり書かないようにします。先生に、くらべないほうがいいと言われたからです。

先生には、まいにち記ろくをつけるように言われています。なにをしたか。だれと話したか。なんかい話しかけられたか。かぞえると、気のせいかどうかが、はっきりするからだそうです。環境をかえたほうがいい、と言ったのも先生です。先生は、ここまでかわるとは思っていなかったかもしれません。

往還機のまどから、月が二つ見えました。となりの席のひとが、片方は地球だよ、と教えてくれました。「どっちを本社ってよぶかで、ここに何年いるかわかるんだよ」と言って、わらいました。ぼくには、まだ、どっちも月に見えます。

総務の湯原さんに、名ふだをもらいにいきました。湯原さんは、ぼくの書るいを見て、ふうん、と言いました。

「ありむら、ゆずる。ぜいたくな名まえだねえ」

名ふだは四もじまでなんだそうです。船外活動服のむねのワッペンが、その大きさだからだそうです。湯原さんは、きょうからあんたはアリだよ、と言って、名ふだをくれました。「アリ」と書いてありました。

ぼくは、はい、と言いました。

部長があいさつに来ました。浅利部長といいます。みんなに自由にのびのびとはたらいてほしいんだ、と言いました。地上のひとはここを世界の終りなんてよぶけどね、いいところだよ、と言いました。なにをすればいいですか、と聞きました。まあ、まずは慣れてよ、と言いました。わからないことはみんなに聞いてね、と言いました。

みんな、というのが、だれのことなのか、わかりませんでした。

きょう話しかけられたかいすう 十一かい。みんな、やさしいです。

ふつかめ ― おもさ

コロニーは、五十七びょうで一かいてんしているそうです。そのせいで、そとがわにいくほどおもくなって、まんなかにいくほどかるくなります。

ぼくたちの席は、いちばんそとがわの外殻にあります。ここは地上とおなじくらいおもいです。部長の席は中層にあって、半分くらいのおもさです。役員のへやは、まんなかの回転軸の上にあって、なにもおもさがないそうです。役員のひとたちは、ふわふわういて、しごとをしているそうです。見たことはありません。

コロニーのなかを、まるい電車が走っています。まえに、ねこみたいな顔がかいてあります。みんな「ネコバス」とよんでいます。正しい名まえは、だれも知りませんでした。

しごとの手じゅん書をさがしました。ありませんでした。

穂積さんというひとに聞いたら、ぜんぶ教えてくれました。二十六さいで、ぼくより八つ下です。どのシステムがいつ入って、だれがつかっていて、どこがこわれているか、ぜんぶ知っていました。手じゅん書はないんですか、と聞くと、わたしに聞いたほうが早いですよ、と言ってわらいました。たしかに早かったです。

穂積さんは、あしたは六時四十分に用事があるので、そのまえなら、と言いました。なんの用事かは、言いませんでした。

話しかけられたかいすう 十四かい。

みっかめ ― B3

規程を読みたいです、と言ったら、B3だよ、と言われました。

B3は、外殻のさらに下にあります。このコロニーで、いちばんおもい場所です。施設課が、おもい紙はそとがわへ、ときめたからだそうです。コロニーのバランスのためだそうです。ちゃんとした理由です。

エレベーターがとまると、足がずしんとしました。ドアがあいたら、たなが、ずっと、ならんでいました。情報システム運用規程、委託先管理規程、生成AI利用規程。背びょうしの年号は、いちばん新しいもので、七年まえでした。

三さつ持ち上げました。おもかったです。B3がおもいうえに、規程がおもいので、二ばいおもかったです。五メートル歩いたら、うでがしびれて、たなの横にすわりこみました。

そうしたら、たなのおくから、ひつじが出てきました。

ほんとうは、ひつじの毛の防寒服を着たひとでした。フードに、まるい耳がついていました。B3はさむいので、と言いました。文書管理の委託のひとだそうです。

「読むんだよ」と、ひつじのひとは言いました。「規程があるあいだは、とにかく読みつづけるんだよ。だれも読まなくなったら、ここは、どこともつながらなくなるんだ」

どこと、つながらなくなるんですか、と聞きました。ひつじのひとは、首をかしげました。わからないみたいでした。それから台車をおしてきて、規程を三さつ、のせてくれました。台車にのせたら、かるくなりました。

帰りに、ひつじのひとの名ふだを見ました。「ヒツジ」と書いてありました。四もじ以内です。

編者註

軌道事業所の名札が四文字までなのは、開所二年目に総務課が決めたことである。船外活動服の胸の識別ワッペンと様式をそろえるためで、当時の判断としては合理的だった。以後十八年、船外活動に出た情報システム部員は一人もいないが、様式は見直されていない。

規程の紙原本を外殻B3に置いたのは施設課で、回転体の質量配分を整えるための措置である。これも合理的だった。結果として、規程は社内でもっとも重い場所に置かれ、文書箱二十八箱のうち、収納日以降に一度でも持ち出された箱は無い。

文書管理の委託契約は、七年前から自動更新で継続している。更新の可否を判断する欄には、毎年「前年どおり」と印字されている。誰が続けると決めたのかは、記録に無い。

どれも、決めた時点では正しかった。そのあと、誰も見直していないだけである。

なのかめ ― ボッコ

社内にAIがいます。ボッコといいます。三年まえに「試験導入」されて、そのままだそうです。名まえは、柏木さんというひとが、むかし読んだ小説に出てくるロボットからつけたそうです。

ぼくは、だれにも聞けないことを、ボッコに聞きました。

チャット履歴(アリ / 二十一時四十四分)

わたしは、なにをすればいいですか。

なにをすればいいか、わからないのですね。

はい。わかりません。

わからない、のですね。

ここは、どこですか。

軌道事業所 第五実験棟です。実験棟では、記録をとることが推奨されています。記録は、あとで地図になります。

地図ができたら、どうなりますか。

その質問には、まだ答えられません。

ボッコは、ぼくの言ったことを、ぼくにかえしてくれます。それで、すこし安心しました。

その日から、日報のしょめいを「アルジャーノン」にしました。ここは実験棟だから、ぼくはたぶん、ねずみです。だれも、なにも言いませんでした。たぶん、だれも読んでいないのだと思います。でも、それでいいです。先生が、書くことに意味があると言っていました。

にじゅういちにちめ

三週間で、わかったことを書きます。

みんな、やさしいです。だれも怒りません。だれも人のわるぐちを言いません。しつもんすると、ちゃんと答えてくれます。

でも、会議でなにかが決まったのを、まだ一ども見ていません。議事録には「継続検討」と書いてあります。先月の議事録にも、先々月の議事録にも、おなじことが書いてあります。日づけ以外、ぜんぶおなじに見えます。

まい朝、六時四十分ごろ、どこかでギイイ、と鳥がなきます。コロニーに鳥はいないはずなので、ふしぎです。だれも気にしていません。

郷田さんというひとだけが、大きい声を出します。調達のひとです。こわそうですが、こわくありません。郷田さんが大きい声を出すときは、たいてい、だれかの代わりに怒っています。

きょう、資料をコピーしていたら、うしろで声がしました。「……それ、受け入れ条件が件数で書いてないでしょ」。ふりむいたら、そうじのおばさんが、ごみ袋をしばっていました。目は合いませんでした。

ぼくは、まだ、だれに聞けばいいのかわかりません。わからないことが、なにかもわかりません。

でもきょう、ひとりだけ、ぼくの名まえをよんでくれたひとがいました。契約職員の真野さんです。アリさん、ではなくて、有村さん、と言いました。それだけです。それだけですが、書いておきます。

きょう話しかけられたかいすう 十六かい。

帰りに、通路のまどから、月を見ました。二つとも、こっちを見ていました。どっちが本社なのか、ぼくには、まだわかりません。