オウム
エフ博士が、新しい装置を完成させた。
手のひらに乗るほどの、緑色の鳥の形をしたものである。肩にとまらせて使う。持ち主が何かを話すと、オウムがそれを聞きとり、相手に向かって、角の立たない言葉に直して言いなおす。
博士は、さっそく部長に見せにきた。
「試しに、何か言ってみてください。困っていることを、そのまま」
部長は少し考えて、言った。「例の試験運用だがね、遅れているんだ」
すると、肩のオウムが、なめらかな声で言った。
「例の試験運用につきましては、計画の精査を進めつつ、着実に推移しております」
部長は目を丸くした。たしかに、嘘はひとつも言っていない。精査は進めているし、推移はしている。ただ、聞いていて、ずいぶん気分がいい。
「これはいい。報告が楽になる」
「でしょう。報告の品質が、誰が書いても一定になります。本社も喜びますよ」
本社は喜んだ。翌月、オウムは軌道事業所の全員に配られた。生産性の向上と、報告品質の均一化のためである。どちらも、もっともな理由だった。
重さについて
このコロニーでは、報告書は階層を上がるたびに軽くなる。
現場の大西が外殻で書いた原稿は、A4で六枚、二百八十グラムある。一Gの床の上で、ずしりと重い。課長が中層へ持って上がると、〇・五Gになり、オウムが要約するので二枚になって、四十五グラム。部長が軸の近くの部屋でまとめると一枚になり、重さはほとんど感じられない。
役員室は、回転軸の真上にある。そこでは何も重さを持たない。報告書は机の上に置いたとたんにふわりと浮き、空調の流れに乗って、どこかへ漂っていく。
大西の原稿には、こう書いてあった。
現場原稿(大西 作成・外殻)
AI文書点検 試験運用の結果:定型三様式において正答率九十二パーセント。ただし本測定はサンプル二百件によるもので、対象は全三十七様式のうち三様式に限られる。残る三十四様式は現時点で精度を測定できていない。また、現場の確認工数は削減されておらず、目視確認が継続している。
大西の肩のオウムが、課長への報告にこう言いなおした。
課長あて報告(大西のオウム・中層)
AI文書点検は、定型様式において正答率九十二パーセントを達成いたしました。対象拡大に向け、引き続き検証を進めております。
課長の肩のオウムが、部長への報告にこう言いなおした。
部長あて報告(課長のオウム・軸寄り)
AI文書点検、正答率九十二パーセント。順調に推移しております。
部長の肩のオウムが、エヌ本部長への月次報告を、こうまとめた。
月次報告(部長のオウム・軸)
順調です。
削られたのは、「ただし」「のうち」「現時点で」「継続している」である。オウムに悪意はない。そう作られているだけである。作った博士にも悪意はない。報告を読む人が忙しいことを、よく知っていたのである。
のちの監査で、軌道事業所の月次報告十二か月分と、各現場原稿との差分が機械的に比較された。
要約の過程で最も高い確率で消えていた語は、「ただし」(十二件中十二件)、「のうち」(十一件)、「暫定」(十件)、「未測定」(十件)であった。報告にのみ現れ、原稿に存在しなかった語は、「順調」(十件)、「着実」(九件)、「推移」(九件)である。
要約を要約すると、成果だけが残る。失われるのは成果ではない。成果が成立する条件である。条件は軽い。だから、いちばん先に飛ぶ。
ある日の故障
ある日、若い社員のオウムが故障した。
その社員は、地上の本社との定時交信の担当だった。彼は画面に向かって、思ったとおりのことを言った。オウムは黙ったままで、言葉はそのまま、片道一・三秒かけて地上へ届いた。
「本社、問題が発生しました」
二・六秒後、本社の担当者の肩のオウムが、やさしく返してきた。
「問題ではなく、課題と表現していただけますでしょうか」
若い社員は、オウムを修理に出した。修理は翌日に終わった。以後、軌道事業所から本社へ「問題」という語が届いたことは一度もない。
ブランコ
部長の頭の上、十五センチほどのところに、487という数字が浮いている。地上へ帰還するまでの日数である。部長には見えない。部下には全員、見えている。誰も口には出さない。
ある晩、部長は帰り道に、居住区の小さな公園に立ち寄った。誰もいない公園に、ブランコが一つあった。
部長はなんとなく、それに腰かけた。軽く地面を蹴ると、ブランコは思いがけないほど高く上がり、回転の加減で、少し斜めに揺れた。部長は揺られながら、古い歌を小さく口ずさんだ。歌詞は途中から思い出せなかった。
揺れているうちに、胸の奥から、ひとつの考えが浮かんできた。
――帰るまでに、何か一つ、ちゃんとしたものを残したい。
三十年、報告書を書いてきた。判子を押し、会議に出て、誰も困らないように、角の立たないように、やってきた。それは間違っていなかった。けれど、自分の名前で決めたものが、ひとつでもあっただろうか。
翌朝、部長は朝礼で言った。
「AI文書点検の件、いちど全面的に見直したいと思う」
肩のオウムが、なめらかに言いなおした。
「AI文書点検につきましては、引き続き、状況を注視してまいります」
部下たちは、うなずいた。部長も、なんとなくうなずいた。何かが違う気がしたが、何が違うのかは、わからなかった。わかろうとすると、月曜の会議の段取りが頭に浮かんで、そちらに流れていった。
頭の上の数字が、486に変わった。
役員室
月次報告の「順調です」は、軸の役員室で、役員会の資料になった。
役員の一人が、ガラス越しに外殻のほうを見おろして言った。
「見たまえ。人が、ゴミのように小さい」
悪気はなかった。軸から見ると、本当にそう見えるのである。
役員会は「AI文書点検を、来期から全社に横展開する」と決めた。反対する者はいなかった。反対するための情報が、その部屋にはひとつも届いていなかったからである。方針は、二日で部長に降り、三日で課長に降り、四日目に大西の画面に届いた。降りてくるときは、不思議なほど速い。重さが無いからである。
大西は、三十七様式のうち三十四様式が測れていないことを知っている。知っているが、それを上に戻す管が無い。このコロニーには、下りの管だけがあって、上りの管が無い。
大西は、協力会社の鵜飼に連絡した。「あの、すみません、ちょっとご相談が……」
大西の肩のオウムが、言いなおした。「来期の全社展開について、ぜひご協力をお願いいたします」
エヌ本部長の席
月次報告の宛先は、地上の本社にいる、エヌ本部長である。
部長は、エヌ本部長に会ったことがない。報告は毎月十日に送っている。毎月十二日に、短い返信が届く。
「順調で何より」
それだけである。だが、返信が来るのだから、読まれているのだろうと、部長は理解している。
本社の十八階、日当たりのよい角の部屋に、エヌ本部長の席はある。椅子の背もたれに、緑色のオウムが一羽、とまっている。月に一度、端末が軌道からの報告を受信すると、オウムは首をかしげ、それから決まった返事を送信する。
エヌ本部長が定年で退職したのは、四年前のことである。
送別会では、オウムが本人に代わって挨拶を読みあげた。たいへん感じのよい挨拶だった。後任は決まらなかったが、誰も困らなかった。報告は届き、返信は返り、会議はとどこおりなく進んだ。
むしろ、以前より、早く終わるようになっていた。