八月十九日 ダッシュボード
経営会議 AI活用ダッシュボード(八月)
AI活用率 91%(前月比 +6ポイント)※月に1回以上ログインした社員の割合
問い合わせ対応時間 前年比 −31%
「全社の9割以上の社員が、日常的にAIを活用しています」
「物流部は100%です。朝礼で全員に徹底しております」
「常務になって2か月で、ここまで来た」
率が上がったのは、七月に部長の評価項目へ「部内のAI活用率」が入ったからだった。入れたのは新井で、決めたのは黒田。−31%は去年の増田の数字をそのまま引いたもので、八月に手直しが増えたことは画面のどこにもない。人が直した割合も載せてほしいと水野が頼むと、新井は首を振っていた。
「直した割合なんて載せたら、AIが間違ってるみたいに見えるだろう。経営に見せるのは、前に進んでいる数字だけでいい」
社長は、数字の下の注を読まなかった。1回開いて閉じた人も、毎日使う人も、同じ1人だった。
八月二十日 物流センターの休憩室
受注入力の試験の立ち会いに行った水野に、出荷の班長が言った。
「使ってるんじゃない、使わされてるんだ。ログインして何もしないで閉じる。それで数に入る。部長の評価に入ってるから、休んでる者の分も俺がログインしてる」
「研修の動画も、昼休みに流しっぱなしです。再生したら受講したことになるんで」
「使わないのは、どうしてですか」
「予測があてにならない。夏は厚い緩衝材がよく出るのに、予測は毎年少なめに出る。それに合わせて足りなくなったら、誰のせいになる? 俺のせいだろう。それに、手袋をしたままだと、あの画面は押しにくい。誰も聞きに来なかったけどな」
予測が少なめなのは、欠品の注文を記録していないからだ。物流部長の指示だった。班長は理由を知らないまま、間違える画面を使わないことで班を守っていた。
「言ったら、画面を使えない班だと思われて、次の配置換えで外される。だから言わない」
現場の困りごとは、しのげている間は上に届かない。しのげなくなった日に、突然の失敗として届く。
八月二十一日 常務室
「現場の一部には、まだ変化を嫌う声もあると伺っております。上位プランには、現場向けの研修強化パックもございます」
「現場はいつの時代も新しいものを嫌がる。上が本気を見せれば、ついてくる」
「そうでしょうな。現場の意識の問題だ」
新井も、金額を聞かずに研修パックを「前向きに検討」と言った。九月の報告に「研修を強化」と1行書ければいい。2人が帰ると、黒田は影山を呼んだ。
「物流センターと倉庫を回って、活用の指導をしてきてくれ。数字の低い班は、名前を控えてこい」
指導とは何か、黒田は言わなかった。言わないでおけば、何が起きても、指導を頼んだだけになる。
活用率91%と、休憩室の「使わされている」。経営会議と現場が同じものを見るには、何を1枚にすればよいだろう。そして、1枚にされて困るのは誰だろう?
八月二十五日 指導
「皆さんの班の活用の状況は、評価の資料として常務にご報告します。使っていない方は、理由も伺うことになります。私の独り言ですが」
その日の午後から、出荷の班のログインは1日3回に増えた。使われ方は何も変わらなかった。影山は、班長が代わりにログインしていることを黒田には渡さず、自分の手元にだけ残した。
「水野さんも、指導ですか。理由は、たいてい言い訳ですよ」
「予測がおかしいのは、俺たちのせいじゃないのに」
「直すには、欠品した注文を記録するところから始めないといけません。決められるのは部長です」
「部長が自分の数字を悪くするわけがない。じゃあ、ずっとこのままだ」
少なめの予測、間違えたときの責任、手袋で押しにくい画面。どれも言い訳ではなく、具体的な食い違いだった。どのデータを、どの細かさで、何年分使うのか。それが今どこにどんな形であるのか。その2つを確かめないまま、率だけが上がっていた。
八月二十八日〜九月一日 消された1行
水野は、上と下で同じものを見るための1枚を作った。
5つの数字(八月・水野)
- 対象範囲 ― お客様センター 人を通さずに送られたもの 41%/物流 予測を準備に使っている班 4班中0班
- 確認を含めた所要時間 ― 七月までは1件2分短縮。八月は上流の更新でほぼ差なし
- 1件あたりの費用 ― 利用料に手直しの時間を足した額
- 例外の発生率 ― 手直しが要ったもの 32%
- 直せる人の数 ― 社内0人
その下に1行を足した。「AIの答えに従って間違えた場合、その責任は、使うことを決めた組織が負う。現場の担当者個人には負わせない」。
「最後の1行は無理だよ。会社が責任を負うなんて書いたら、何かあったときに困るだろう」
「責任の所在を書かないなら、現場は使わないと思います。ここ、書いてないと、ずっと91%のままですね」
「あの1行があったら、わたし、もう少し回答案を信じて使えると思います」
新井は1行を消し、5つの数字も資料から外して、「現場の声は大事だからね」と付け足した。九月一日の部長会で、黒田は下期の目標を発表した。
「下期は、活用率95%を目指す」
三好はその場で研修の題を考えていた。「活用率を上げる10のコツ」。1つ目は、毎朝ログインすること、になるはずだった。
その夜、水野はお客様センターの壁の図の横に、手書きの1枚を貼った。会社の名前では書けないから、自分の名前で。「回答案で間違えたときは、直した中身を書いてください。誰のせいかではなく、何が起きたかを、情報システム部が一緒に調べます ― 水野」。
「九月一日 活用率の目標が95%に上がった。上がるのは、ログインの回数だけだろう。責任の1行は、会社を守るために消された」