四月一日 新しい部長

新しい情報システム部長の新井は41歳。外資系のコンサルティング会社から来た。社長の妻の甥だということは、誰もが知っていた。

「グローバルでは、AIはもう経営そのものです。業界標準から見ると、万年商事さんは3年は遅れている。前の体制のことは問いませんが、ここからはスピードで取り返しましょう」

前の体制とは、もういない平野のことだ。いない人のせいにすれば、誰とも揉めずに済む。新井の履歴書は2年ごとに会社の名前が変わっていた。どこでも最初の1年で大きな数字を出し、次の春には次へ移っている。

「十八日の取締役会で、社外取締役の矢野さんがAI投資の効果を聞きたいそうだ。数字は大きく、分かりやすく。最初の報告が、僕の名刺になるから」

「効果を測るには、入れる前の数字が要ります。お客様センター以外は測っていません」

「ベンダーに試算を出させればいい。コンサルの世界では、みんなそうやってる」

持田は初日のうちに、新しい上司が好むものを覚えた。見せ方と、細部に入らないこと。どちらも持田の得意なことだった。

四月八日 6,000万円の式

アンシンテック「AI活用による効果試算」

年間効果 6,000万円(1日の短縮時間15分 × 利用者400名 × 年間240日 × 時給2,500円)

※短縮時間は、利用者アンケート「AIで1日何分短縮できましたか」の回答の平均

「上位のプランに移っていただければ、この効果は倍になるかと。二年目のご契約の見直しの際には、ぜひ」

宇佐美にとって試算は報告の材料ではなく、値上げを呑ませるための営業の材料だった。アンケートの設問も、宇佐美の会社が作った。

「15分は本人の自己申告で、測ったものではありません。400名は月に1回以上ログインした人の数です。答えを確かめる時間も入っていません。それに、派遣を減らした分は残業に替わって、人件費は去年とほとんど変わっていません。6,000万円は、どこで減るお金ですか」

「生まれた時間で、付加価値の高い仕事をする。それが業界標準の考え方だよ」

付加価値の高い仕事が何なのかを、新井は言わなかった。言えば、それを測られる。

四月十日〜十五日 抜かれた1枚と、30分

取締役会の資料の表紙には「AI活用効果 年間6,000万円」。水野は最後に、費用の3年分を足そうとした。利用料と追加オプション、青空システムの試行、データの整備、検証、教育、運用。社内の作業時間を金額にすると、いちばん大きいのは運用で、3年では初期の費用を上回った。

「初年度だけで比べると、どんな仕組みも安く見える。効果は大きく、費用は1年分だけ、というのが、いちばんよくある見せ方」

「これは効果の報告だから。費用の話は、また別の機会に」

持田はその1枚を抜いた。

アンケートの回答を見ると、お客様センターだけがそろって大きかった。12人のうち10人が「30分」。相原は画面の端を押さえて言った。

「課長から『うちは30分と書いておくように』って言われたんです。3割削減の部署なんだから、って」

「正直に書いたら、うちの成果が小さく見えるだろう。正直な数字が、いつも得になるとは限らないんだよ」

「その数字で、上位プランへの移行が決まるかもしれません」

「決まるなら、うちの成果だ」

困るのは、来年度の利用料を払う会社だった。増田の評価表に、その欄はない。

「年間6,000万円の効果」を取締役会で使う前に、何を確かめればよかったのだろう。そして、それを確かめないほうが得をするのは誰だろう?

四月十八日 取締役会

「AI活用による効果は、年間6,000万円と試算しております」

「その6,000万円は、損益計算書の、どの行に出てきますか」

「直接の費用削減というより、生まれた時間を付加価値の高い業務に振り向ける効果です」

「では、その付加価値の高い業務というのは……」

「矢野さん、細かいところは執行の側で詰めますので」

矢野は口を閉じた。六月に再任の候補になっている。名簿を作るのは執行の側だ。聞かなければ、聞かなかったことは議事録に残らない。

「新井部長には、ぜひ全社の仕組みづくりでもお力を」

黒田は、六月からの自分の体制に社長の縁戚を取りこんでおきたかった。議事録には「効果の把握について、引き続き確認することとした」とだけ書かれた。何を、いつまでにかは、書かれなかった。

四月二十日〜三十日 測れるところだけ

水野は、相原ともう1人の担当に頼み、回答案を使う日と使わない日を分けて、確かめる時間も含めて1件ずつ記録してもらった。入れる前の数字がない以上、それがいちばん近い比べ方だった。1か月のうち10日分の途中経過で、使う日は1件あたり平均2分短く、4件に1件は直さなければ送れなかった。

「1件2分? 測り方が悪いんじゃないかな。数字が出るまで、表には出さないでおこう」

数字はもう出ていた。出てほしい大きさではなかっただけだ。月末、新井は推進室の評価指標を黙って書き換えた。「AIによる削減時間」が消え、「AI活用率」が入った。削減時間は測れば小さくなる。活用率は、ログインさせれば上がる。

水野は書き換えの前後の画面を控えに写し、次の稟議の下書きに2行を書いた。予算は、小さな検証と、基準に届いてからの本番の2段階に分ける。選ぶ基準は、提案を受け取る前に作る。

四月の最後の日、新井は社外の交流サイトに投稿した。「着任1か月で、AI投資の効果6,000万円を可視化」。祝いの言葉がたくさんついた。

「四月十八日 取締役会。6,000万円の分母は、アンケートだった。2度目の質問は、今度も出なかった」