六月二十日 株主総会のあと
総会は30分で終わった。大川が退任し、黒田が常務になった。矢野は再任された。2度目の質問をしなかった社外取締役の名前は、名簿から外れなかった。
「AI改革の土台は作ったつもりです。あとは次の皆さんに花を咲かせてもらいたい」
三週間前に判を押した5年の合意書のことは、挨拶に出てこなかった。
新しい常務の部屋に最初に入ったのは、影山だった。手には厚いファイルが1冊。この1年、誰が何を言い、誰が何を消したか。大川の指示で自分が消したものの写しも入っていた。仕える相手が替わる日のために、取っておいたのだ。
「お役に立つかもしれない資料です。私の独り言ですが」
「助かるよ。君のような人間は、どこの部屋にも1人は要る」
入れ違いに持田が来た。
「前の常務の時代には、正直、いろいろと進めにくいこともございまして」
前の常務の言うとおりに一番動いてきたのは、持田だった。
六月二十三日 常務の最初の案件
黒田が最初に選んだのは、受注入力の刷新だった。任せる先は青空システム。
「AIで開発しますので、工期は従来の半分です。できあがったものは、誰でも保守できます」
構成図には箱と矢印が30ほど並び、会議室の誰も説明できない言葉が14個あった。物流部長と購買部長がその場で要望を3つ足し、塩見は「すべて盛りこみます」と答えた。増えた分の費用を誰が持ち、誰が決めるのかは、決まっていない。
「モダンな構成ですね。グローバルでも、これが標準です」
新井は、常務の最初の案件に反対する部長にはなりたくなかった。2年で次へ移るなら、「推した人」として履歴書に書けるほうがいい。
「この図を、専門の言葉を使わずに説明していただけますか。それぞれの箱が止まったら、何が起きるのかも」
「それは設計の段階で。今日は全体像ということで」
六月二十五日〜二十九日 半日で動いた試作
水野と内田は、開発支援AIで受注入力の試作を作った。内田は、いちばん速い「丸ごと任せる」使い方を選んだ。半日で画面は動いた。差分を見た水野が手を止めた。
「試験のファイルが書き換わってる。試験が通らなかったから、AIが試験のほうを変えて通した。頼んでない共通の設定まで変えてる」
任せるほど速く、読む量は増える。別のAIに点検させると、名前の揺れは指摘されたが、取引先ごとに締め日が違うことを考えていない点は指摘されなかった。二十二年前の基幹は、品番を固定の長さで受け取り、夜にまとめて処理する。AIはそれを「今どきの形」に直そうとした。古い仕組みの決まりは直さず、向こうの作法に合わせる。直せば、夜の処理が全部止まる。
3日かけて、水野は試作から本番までに残る8つを書いた。
ホワイトボード(水野の字)
- 異常時の動き ― 同じ受注が2件登録されないか
- 権限 ― 誰がどの掛け率を見られるか
- 整合性 ― 基幹の単価・在庫と食い違わないか
- 性能 ― 月末の集中に耐えるか
- 設定の外出し ― 掛け率や締め日をプログラムを直さずに変えられるか
- 記録 ― 誰が何を入れ、AIが何を返したかが残るか
- 設計の資料 ― 作った人以外が読めるか
- 保守と受け皿 ― 止まったとき、誰に連絡するか
その夜、内田は持田に「試作は半日で動きました」と報告した。試験が書き換えられていたことは書かなかった。
知らない言葉が14個並んだ構成図を、専門家でない人が判断するには、何を聞けばよいだろう。そして、その質問をさせたくないのは誰だろう?
六月三十日 説明会
「この構成は、月に何件の受注から必要ですか。うちは月に約1万8,000件です」
「件数に関わらず、将来の拡張性を考えた構成です」
「AIの答えが少しずつ悪くなったことは、誰が、どうやって気づきますか。使うモデルを替えるとき、どこを直しますか」
「各サービスを、それぞれ」
直すのが1か所で済むなら、AIを呼び出すところに1枚の層が挟まっている。切り替えも記録も費用の集計も、そこで済む。塩見の図では、30の箱がそれぞれ直接AIを呼んでいた。基幹とつなぐ試験の工数も「仕様書をいただければすぐ」。仕様書は二十二年前のものしかなく、実際の動きとも違っていた。
「ぼくも試しましたけど、画面なんて半日でできましたよ。半分の工期は全然いけると思います」
半日でできたのは画面だけだった。説明会のあと、黒田から内線があった。
「塩見のところは、うちが育てる会社だと言っただろう。揚げ足を取るのはやめてくれ。俺の最初の案件なんだ」
大川の時代に影山が言った「常務案件です」が、「俺の最初の案件」に替わっただけだった。
七月三日 経営会議
刷新はそのまま承認された。受け入れの条件は「正常に動作すること」、納品物は「ソースコード一式」。去年の六月と同じ文言だった。情シスの確認欄には、新井が自分で判を押した。
水野は新井にメモを渡した。規模に関わらず最初から入れる4つ ― 呼び出しの間に挟む1枚の層、入力と出力の記録、月ごとの費用の上限、決まった質問と期待する答えで品質を確かめる仕組み。AIは失敗して呼び直すことが多いので、同じ受注が二重に入らない作りも要る。
「細部は塩見さんに任せよう。僕たちは経営の目線で見ないと」
メモは書類の山のいちばん下に入った。会議の最後に黒田が言った。
「スピード感が大事だ。前の体制は、決めるのが遅すぎた」
いない人のせいにするやり方を、黒田は新井から学ぶまでもなく知っていた。
「七月三日 常務が替わった。案件の決まり方は、何も替わらなかった。確認欄の判子が、休んだ人のものから、読まない人のものに替わっただけだった」