十月一日 下期のキックオフ
万年商事は、段ボールや緩衝材を扱う包装資材の専門商社だ。従業員はおよそ650名。注文の半分近くは、今もFAXで届く。この日、ベンダーのアンシンテックとの全社3年契約が始まった。止める条件の1行を消されたまま、先月可決された契約だった。
キックオフ資料 3ページ
三か年AI改革計画 ― 三年で、間接部門の人員を半分に。三年後、仕事の半分が消える(※各種調査より)。
「わが社は、それを待つ側ではなく、仕掛ける側に回る。今日がその1日目です」
常務の大川は、来年六月の株主総会で退任する。そのあとはアンシンテックの顧問の席が待っている。三年後に何が起きても、大川はもうこの会社にいない。
最前列で一番大きく手を叩いたのは、取締役の黒田だった。大川が去れば常務の席が空く。「半分」が達成できなかったとき、言い出したのは大川で、立て直すのは自分。旗は高いほど、落ちたときの音が大きい。
情報システム部の主任、水野は、会場のいちばん後ろにいた。この半年、起きたことをすべて私用の端末の「控え」に書いてきた。会社のためではなく、自分が責められたときのための記録だ。鞄には別の会社の内定通知がある。返事の期限は十月十五日だった。
同じ日 常務室
「二十日の取締役会で、三か年計画の骨子を出す。持田くん、まとめてくれ。水野くんは数字を手伝ってやれ」
「半分というのは、人数でしょうか、業務の時間でしょうか。どの業務を数えるかで、目指すものが変わります」
「細かいことは君たちで考えろ。旗が小さいと、誰もついてこない」
大川にとって「半分」は計画ではなく、退任の挨拶に入れる一語だった。何の半分かを決めれば、その数字で測られる。決めなければ、誰にも測られない。廊下に出ると、AI推進室長の持田が言った。
「下書き、明日までにもらえるかな。私のほうで整えて出すから」
十月六日 地下の倉庫
過去の資料を探しに、水野は地下へ下りた。この月からAI推進室へ移った後輩の内田が、持田に言われて付いてきた。望んだ異動がかなっても、持田の顔色をうかがう癖は抜けていない。棚には「伝票入力ロボ 触らないこと」と貼られた端末と、十八年前に営業本部が入れた見積もり支援システムの手引書があった。
見積もり支援システム 手引き 改訂履歴
登録済みの規則 640件。新旧の規則の矛盾が見つかったため、追加を停止する。担当者の退職に伴い、当面は現状のまま運用する。
「ロボットは、画面が改修でずれて止まって、2か月で手入力に戻った。どっちも、やめた理由はどこにも書いてない。世の中のAIのブームも、前の2回は同じところでつまずいた。判断を規則に書き出す手間と、直し続ける人と、データの準備」
「じゃあ、今回もだめなんですか」
「違うところもある。費用が下がった。要約みたいに、性能が実用の線を越えた。つなぐ道具がそろった。それに、社長が号令をかけられるくらい誰でも知ってる。最後のは両刃で、確かめてない話まで通りやすくなった。『今回は違う』と言われたら、何が違うのかを具体的に言ってもらうこと」
手引書を持って受注センターに寄ると、古株の古川が言った。
「書いた規則は、書いたその日から古くなる。直す人がいなくなったら終わりだ」
だから自分の勘も書かない、とは言わなかった。古川は来年の三月で役職定年になる。夕方、情報システム部長の平野に、ロボットをやめた理由を聞いた。承認したのは平野だった。
「さあ、覚えてないなあ。昔のことだから」
平野の定年まで、あと半年。覚えていないはずはなかった。その夜、内田は持田に送った。「倉庫で過去の導入の資料を見つけました」。見つけたのが誰かは書かなかった。
「三年後に仕事の半分が消える」を計画の柱にする前に、何を確かめればよいだろう。そして、確かめた結果が常務の数字と違ったら、困るのは誰だろう?
十月十四日〜十五日 骨子の下書き
持田が生成AIで作った骨子には、「半分」が11回出てきた。どの業務の何をいつまでに減らすのかは、1回も出てこない。水野は下書きに4行を足した。
骨子の下書きへの追記(水野)
- 「仕事の半分が消える」の出典。対象業務の定義、「消える」の水準、想定する地域と時期
- 万年商事で「遅れる」と、何がどれだけ不利になるか
- 過去に見送った案件とその理由。費用が下がって再検討できるものはあるか
- 操作まで任せる仕組みを入れる前に、誰がどの操作を承認するか
推進室に移ってきた三好が覗きこんだ。
「こんなの書いてたら、また遅れますよ。様子見がいちばんのリスクっすから」
「様子を見ろとは書いてない。今の数字を測る、小さく試す、止める条件を決める。どれも数週間でできる着手の一部」
三好はこの半年で、AIの話をすれば人が黙ることを覚えていた。黙らない人は面倒だった。
十五日の夜、水野は内定通知を机に置いた。署名すれば、この会社で起きることを見届けずに済む。日付が変わるまで、どちらも選ばなかった。選ばないことで、選んでいた。
十月二十日 取締役会
骨子は持田の名前で出た。追記の4行はなかった。出典を問う行を残せば、常務の数字を疑ったことになる。持田はいつも、消すほうを選ぶ。
社外取締役の矢野が手を挙げた。元は地方銀行の役員で、取締役会ではいつも一度だけ質問をする。
「三年で半分、というのは、数字の出どころはどちらですか」
「各種の調査です。業界ではもう共通の認識になっております」
「そうですか。承知しました」
矢野が来年再任されるには、常務の推薦が要る。2度目を聞いて答えが出なければ、自分が止めなかった人になる。
「常務に任せた」
廊下で、黒田が物流部長に言った。
「半分だとさ。三年後、誰が数えるんだろうな」
「数える人がいなければ、達成したことにできますね」
「十月二十日 取締役会。『半分』の出どころを聞かれて、常務は『各種の調査』と答えた。2度目の質問は、誰もしなかった」