二月三日 AIが自動で整理します
青空システムの社内文書検索の試行が始まった。
「データの整備は後で結構です。AIが中身を読んで、自動で整理しますから」
「共有フォルダの中身は、ご覧になりましたか」
「中身は関係ありません。どんな形でも、AIが読めますので」
見積もりには、万年商事の側でする作業が1行もない。かからないからではなく、数えていないからだった。共有フォルダは全部で約9テラバイト。誰かが作って、誰も消さなかったものが積もっていた。三月末で定年の平野は言った。
「棚卸しなんて、やりだしたら終わらないよ。僕の最後の2か月を、面倒にしないでくれよな」
二月五日〜十日 フォルダの中
水野と内田は1週間、フォルダの中を歩いた。
棚卸しのメモ(水野)
- 同じ手順書が何通りもある。「返品対応手順_最新版_修正2.docx」「返品対応手順_本当の最新.xlsx」。どれが今の手順か分からない
- 手順書の3割は、紙をスキャンした画像のまま
- 退職者のアカウントに営業部の全フォルダの権限が残っている。顧客名簿と社員の評価表が、誰でも開ける場所にある
- 六年前に品番の体系が変わり、旧品番と新品番が混在。対応表はどこにもない
「全部読ませたら、返品の手順は3通りのどれかを答えて、評価表は誰にでも答える。AIが軽くできるのは、『株式会社』が前か後ろか、みたいな書き方の揺れまで。どれが今の手順かは、AIには決められない」
受注の一覧では、納期の欄が3割空いていた。営業二課では昔から、急がない注文は納期を空ける決まりだった。空欄は漏れではなく「急がない」という意味で、それはどこにも書かれていない。「売上」も、営業は返品を引く前、経理は引いたあとで集計していた。持ち主と定義が決まっていないデータを読ませれば、AIは会議ごとに違う売上を答える。
品番の対応表は、古川の机の引き出しにあった。六年前に古川が自分で作った手書きの帳面だった。
「四月から俺は嘱託だ。書き写す手間は、嘱託の仕事に入ってない。手当が出るなら考えてもいい」
旧品番と新品番をつなぐ記録は、社内にそれ1冊しかない。古川はそれを知っていて、値段をつけた。
二月十二日 数えていない作業
「御社の見積もりに入っていない、当社の側で必要な作業と工数を挙げていただけますか」
「特には……AIが読みますので」
「手順書が3通りあるとき、どれを読ませるかは誰が決めますか。画像の手順書は誰が文字にしますか」
塩見は黙り、それから3つを書き出した。現行版の特定 ― 御社でご対応ください。権限の整理 ― 御社でご対応ください。画像の文字化 ― 別途お見積もり。見積もりが小さかったのは、万年商事の作業を0で数えていたからだった。
「『後からデータが整う』のは、これから入る文書だけです。過去の手順書や旧品番で答える用途なら、後からは整いません」
その夜、黒田から内線があった。
「塩見のところに、あまり無理を言うな。うちが育ててやらないといけない」
育てたいのが会社なのか、自分の取り分なのかは言わなかった。
社内の文書を「何でも答えられる」ようにする前に、まず何を決めればよいだろう。そして、その作業を誰がやるのかを、誰が決めていないのだろう?
二月十七日 夜 消えていく記録
操作の記録を見ていた水野は、手を止めた。平野のフォルダから、1時間で47個のファイルが消えていた。七年前の伝票入力ロボの稟議と、当時の担当者の「本番の前に、画面が変わったときの試験が必要」という意見書も消えていた。
「僕が整理したんだよ。辞めたあとに、僕の名前が出てきて責められるのは嫌なんだ」
「あの意見書は、ロボットが止まった理由を書いた、たった1つの記録です。消えたら、次に入れる人が同じところでつまずきます」
「次の人のことなんか、僕はもう知らないよ。三月でいなくなるんだから」
「わたしは、います」
平野は長く黙ってから、1枚だけ書くと言った。翌朝の紙には、止まった理由と、直せる人がいなかったことが書かれ、最後の1行は「当時の体制では、やむを得なかった」だった。
消えた47個の名前は、水野の控えに写してあった。監査に届けることもできた。しなかった。去年、影山が「整理済み」のフォルダを消したときと同じように、ただ写した。
二月二十四日 経営会議
水野の案は範囲を絞った。読ませるのは、現行の手順書 約1,400件と製品仕様書 約900件だけ。文書ごとに持ち主と差し替えの担当を決め、旧品番は古川の帳面から対応表を作って維持する。全部をそろえるより安く、ほとんどの用途で足りる。「リアルタイム同期」の追加には、翌朝の反映で困る業務を探したが、見つからなかった。
「ずいぶん小さくなったね。常務にも取締役にも、見栄えがしないなあ」
持田は案を「参考資料」のフォルダに入れた。経営会議には、大川がアンシンテックの「全社データ基盤構築パック」を持ちこんだ。
「部分的な整備では終わらない。私の任期のうちに、全社の土台を作っておく」
何のために整えるのかは書かれていない。用途のない整備には、終わりの条件もない。
「常務の構想は壮大ですな。青空システムの試行と、両方で進めればいいでしょう」
「任せた」
両方が承認された。古川の帳面の手当は、どちらの予算にも入らなかった。週末、水野と内田は一晩だけ借りた帳面を表計算に打ちこんだ。旧品番が1,280行あった。
「二月十七日 平野部長のフォルダから47個のファイルが消えた。消えた中に、七年前に『試験が必要』と書いた人の意見書があった」