十一月五日 常務室
アンシンテックの営業本部長、宇佐美が、パンフレットを2冊並べた。
「追加オプションでございます。1つは『万年商事専用モデル』。御社の全データで追加学習いたします。もう1つは『自律型エージェント』。受注の入力から出荷の指示まで、AIが自分で考えて進めます。中身は最新の推論型で、パラメータ数も桁が違います」
答える前に多く考える型は、その分だけ遅く、1件あたりの費用も上がる。料金の欄には「別途お見積もり」とだけあった。退任まで7か月の大川には、「完全自動化」は挨拶に使いやすい言葉だった。宇佐美には今期の売上目標が残っている。オプションを積むほど、万年商事は抜けにくい客になる。大川が顧問に来るころには、なおさらだ。
「推進室に検討させる。ただし、結論は分かっているな」
「ご安心ください」
十一月七日 三部長会
その晩の個室には客がいた。青空システムの社長、塩見。十年前まで営業本部で黒田の下にいて、独立した男だった。
「常務はアンシンテックの専用モデルに乗る。そこに別の案をぶつける。社内の文書を全部読ませて、何でも答えさせる話は作れるか」
「作れます。『社内知識の完全活用』。RAGでやります。常務のためなら、値段も勉強します」
塩見の言う「常務」は、大川ではなかった。来年の六月に常務になる人のことだった。
「両方が並べば、比べる話になる。比べさせれば、時間が稼げる」
塩見にとっての「完全活用」は、自分の会社がこの取引で何年食べていけるか、だった。
十一月十二日 言葉を箱に分ける
「違いを、常務にも分かるように1枚にしてほしい。できれば、アンシンテックがよく見える形で」
「ファインチューニングもRAGもエージェントも、全部入れればいいんすよ」
水野は内田と、2冊に出てくる言葉を書き出した。14個あった。それを3つの箱に分けた。
ホワイトボード(水野の字)
- 知識を足す ― RAG(検索して見つけた文書を読ませてから答えさせる)・ベクトル検索
- 振る舞いを変える ― ファインチューニング(追加学習。口調や書式、判断の癖を覚えさせる)・専用モデル
- 手順と操作 ― エージェント(道具を使って自分で手順を進める)・自律型
「返品の規程は年に4回、価格表は毎月変わる。変わるものを答えさせたいなら、足したいのは知識で、RAGの仕事。専用モデルに今の規程を覚えさせたら、変わった次の日から古い規程を自信たっぷりに答え続ける」
「RAGなら正確になるんですか」
「ならない。見つからないこともあるし、古い版や矛盾する文書を拾うこともある。だから、どの文書を見て答えたかを出させる。大事なのは、見つからなかったときに『分かりません』と言えるかどうか。エージェントは、使える道具の一覧がそのまま権限の一覧になる。出荷まで進めるなら、出荷を指示する権限を渡すということ」
「全部入れればいい、っていうのは」
「全部の費用がかかって、どこで間違えたか分からなくなる。それに、どこで動かすかは扱う情報の機密度で決めるもので、一人ずつに判断させると必ず誰かが越える。どの方式が合うかは、公開されている点数じゃなく、うちの問い合わせで試して決める」
2つの提案書に並んだ言葉のうち、万年商事がまず確かめるべきことは、技術の違いだろうか。それとも、別のことだろうか?
十一月十九日 説明会
水野は2社に、専門の知識がなくても聞ける同じ質問を持っていった。午前は宇佐美だった。
「専用モデルと汎用の設定で、うちの問い合わせを答えさせた比較はありますか。エージェントが実行できる操作の一覧はいただけますか」
「専用モデルは汎用のものとは次元が違いますので、比べる性質のものではないかと。業務に必要な操作は、すべて可能です」
「学習に使ったうちのデータは、どこに、いつまで保存されますか」
「契約の担当から、追ってご説明いたします」
午後は塩見だった。
「社内の文書から答えが見つからなかったとき、どう答えますか」
「見つからないことは、ありません。意味の近いものを必ず拾ってきます」
「必ず拾うなら、関係のない文書で答えることもありますよね」
塩見は笑って、検索方式の話を10分続けた。三好は何度もうなずいた。確かめられる事実の代わりに、もっと詳しい技術の話が返ってくる。説明が長くなるほど、確かめられることは減っていった。
十一月二十六日 経営会議
水野の1枚は、表に14個の言葉の分け方、裏に答えが返らなかった質問と、繰り返された言い方を並べた。「御社専用」「完全活用」「すべての操作が可能」「比べる性質のものではない」。
持田は紙を半分に折って鞄にしまった。四日後、三好がその表だけを「AI用語早わかり」として、自分の名前で社内の掲示板に載せた。裏は載せなかった。
「常務の専用モデルは素晴らしい。ただ、別の方式も試しておくべきでしょう。比べてこそ、常務の判断の正しさも証明されますから」
「両方やってみたらどうだ」
専用モデルの追加費用と、青空システムの試行が、同じ日に承認された。どちらにも、何をもって良しとするかは書かれていなかった。
「物差しがなければ、半年後に勝つのは声の大きいほう」
「十一月二十六日 専用モデルとRAG。どちらを入れるかは技術ではなく、来年の常務が誰になるかで決まっていた。社長は、両方に判を押した」