「気温が32度であった」は観測記録と照合することで真偽を一意に判定できます。一方、「過酷な暑さであった」という評価は、観測者の主観的知覚や耐性に依存しており、外部の記録には存在しません。

客観的な検証手続きが存在し、反証可能な言明を事実、主観的な価値判断や感情に依存する言明を意見と定義します。

事実の文と意見の文のちがい事実たしかめられる気温は32度だったこの本は250ページ3組の8人が見た→ 数える・はかる・記録を見る意見たしかめられないきのうはあつかったこの本は長いみんな見ている→ 人によって答えがちがう
事実は、あとからたしかめられる文です。意見は、たしかめられない文です。「気温が32度もあって、あぶないくらいあつかった」のように、1つの文に両方が混ざっていることがよくあります。線をひいて分けてみます。

意見言明そのものが不適切なのではありません。重大な判断エラーを招くのは、主観的意見が客観的事実の装いを纏って流通するときです。「多くの利用者が推奨している」という言説は客観的に響きますが、具体的な調査母数やサンプリング条件が明示されていなければ、検証可能性を持ちません。

切り分けの基準は明快です。「反証・検証するための具体的な測定手順を想起できるか」を自問してください。手法が想起できれば事実言明、主観的解釈に留まるなら意見言明です。