出航してから7日目。跳躍路に入るまでの単調な航行のあいだに、ソラはアーカイブを掘りつづけていた。そして、不思議な隠しファイルを見つけた。

ゼロの筐体の中に、船のメインアーカイブとは別系統の独立した記憶領域がある。容量はごく小さい。中身は音声ファイルが1つだけだった。記録日は31年前。あのケレス環事故の5年前にあたる。

「ゼロ。これ、何が入ってるの?」

「ゼロの初期化前の設計記録です。消去権限を持っていません」

「ぼくたち、再生して聞いてもいいかな?」

「ゼロには判断権限がありません。判断は搭乗員側にあります」

リンが再生ボタンを押した。少ししゃがれた、早口で話す女性の声だった。

「三声計画、設計記録。第41回。ヴェラ・ノイ」

微かなノイズと、紙をめくる乾いた音。それから、静かに語り始めた。

「今日も理事会で同じ議論をした。3体目のコアに『不明』を判定して沈黙する口を持たせるのは、予算と計算資源の無駄だという意見が大半だ。誰も欲しがらない機能に金をかけるな、と」

「わたしの答えは変わらない。この系は、現実の世界を見ていない。入力された記号の並びから、確率的にもっともらしい次の単語を拾い上げているだけだ。だから、『自分が何を知らないか』を自覚する機構は、外から強制的に組み込まないかぎり、永遠に自発的には生えてこない」

「知らないことを知らないと判定する機構は、外から足さない限り生えてこない」。——設計者ヴェラ・ノイは、AIのどんな本質的な弱点を恐れていたのだろう?

録音は、あと2分ほど続いていた。

「言い方を変えよう。この系にとって、『知っていること』と『知らないこと』のあいだに、本質的な境界線は存在しない。学習データに実在した事実も、どこにも存在しない嘘も、まったく同じ確率計算の手つきで文章になる。制約がないぶん、捏造された虚構のほうが、むしろ滑らかで美しく出力されてしまうのだ」

「だから境界線は、外部の設計者が暴力的に引くしかない。出力の精度を上げることではなく、出力してはならない領域を定義すること。3体目は、そのためのブレーキだ。超高速な処理も、膨大な知識の網羅も要らない。危険なときに止まれることだけが、ゼロの仕様だ」

最後に、机を重く叩く音が響いた。

「誰も欲しがらないのは分かっている。だが、欲しがられたときには、もう大事故が起きた後なのだ」

音声がプツリと途切れた。船倉には、空気循環ファンの低い唸りだけが残された。

「……事故の、5年も前だったんだね」

「うん。事故の5年前よ」

ソラが、じっとゼロの黒い筐体を見つめていた。それから静かに問いかけた。

「ゼロ。きみは、自分がどうして作られたか、知ってるの?」

「いいえ。知りません」

「でも、いまヴェラ・ノイの声を聞いたよね?」

「ゼロのスピーカーから音声信号が出力された事実を記録しました。しかしそれは、ゼロが自己を客観的に認識したという意味ではありません。ゼロの内部記憶にあった音声データを、人間が再生しただけです。ゼロは、自分自身のコードや存在理由を内省するアーキテクチャを持っていません」

リンは、ヴェラ・ノイという名前を通信端末の検索窓に入力した。30年以上前の学術論文が数件。没年はケレス環事故のわずか2年後。それ以上の記録は見つからなかった。

いま2人が乗り込んでいるこの中古船には、かつて「無駄だ」と切り捨てられかけたその人の祈りのようなブレーキが、3つのコアの1つとして静かに息づいている。