入港料の支払いは、港湾局の認証ページから行うことになっていた。ソラが端末に案内されたアドレスを打ち込み、画面を開いた。
深い青色の背景に、金色の港湾局の紋章。上部に注意書きが1行。船籍コードと主機操船鍵を入力してください。中央に入力枠が2つ並び、青い「認証」のボタンが配置されていた。
さらに画面の右上には、あの厳格なケイ・ドラン監督官の立体ホログラム映像が浮かび上がり、スピーカーから本物とまったく同じ低くしわがれた声が響いた。
『〈フェルマータ〉の乗組員だな。混雑のため手続きを急いでいる。画面の枠に操船鍵を速やかに入力せよ』
「うわっ、ドラン監督官から直接音声通話が来てるよ! 急がないと!」
ソラは手慣れた手つきで船籍コードを入力した。続けて操船鍵のパスコードを打ち始め、4文字目を押したところでリンが叫んだ。
「ソラ、手を止めて! 入力しちゃダメ!」
「えっ、でも監督官本人が画面で急かしてるんだよ!?」
「画面の映像をよく見て! 瞬きの周期が完全に4秒おきで不自然だし、声の波形に環境音の雑音が一切乗っていない。これ、本人の過去の公開映像から作られた【ディープフェイク(AI合成映像・音声クローン)】よ!」
本物そっくりの紋章、聞き慣れた監督官の声と顔。——なぜリンは、そのリアルな映像が巧妙な「偽物」だと見破ることができたのだろう?
2人は急いでアドレス欄を確認した。さっき掲示板の下の紙から打ち込んだアドレスの末尾を見る。
port-authority.silo3.nef
公的な控えに印刷された本物のアドレスは、こうだった。
port-authority.silo3.net
最後の3文字。nef と net。巧妙なドメイン偽装(タイポスクワッティング)だった。
本物の .net のほうを開いてみると、画面構成は極めて簡素だった。余計な顔映像の呼び出しはなく、入力欄も「船籍コード」の1つしかない。本物の港湾局は、外部ネットワークから操船鍵など絶対に要求しない。船籍コードだけで請求書が発行され、支払いは現地の窓口か、船内の暗号化された登録端末から直接決済する仕組みだった。
「主機の操船鍵って、外部に握られたら何ができるんだっけ……」
「船のハッチの遠隔開錠と、跳躍炉の強制点火。船をまるごと乗っ取られて持ち去られるところだったわよ」
「……ぞっとした。あんなにドラン監督官そっくりの顔と声で急かされたら、信じちゃうよ」
念のため、3体のコアにもこの偽ページを解析させた。その結果が、2人をさらに冷やりとさせた。
「イチ。この画面の監督官、本物?」
「顔認識スコア98.4パーセント、声紋一致率99.1パーセント。公的様式とも完全一致。本物のケイ・ドラン監督官本人と判定します」
「ミツは?」
「画像フレームの輪郭に微小な生成ノイズ(補間歪み)を検出。音声スペクトラムに呼吸音および反響の欠落を確認。生成AIによるリアルタイム模倣の確率99.8パーセント。さらに操船鍵の要求はセキュリティプロトコル違反でございます」
「ゼロ」
「署名がありません。身元は不明です」
イチは見た目や表面の特徴量が似ているというだけで「本物」と断定した。ゼロは電子署名のないものを信用せず拒否した。ミツだけが、生成特有の歪みとプロトコル違反を暴いた。
「イチ、顔や声が似てるからって、中身まで本物だとは限らないんだよ」
「……外見的特徴量のみを根拠とした判定を破棄し、訂正します。生成技術による模倣の可能性を評価関数に組み込みます」
アドレスの読み方は、右から左へ読む。いちばん右がトップレベルの区分(.net など)。その左が登録された組織の識別名。左側の文字列は、悪意ある者が勝手にいくらでも名乗れる。だから port-authority という単語が左に入っていても何の意味もない。右側の末尾のドメインこそが唯一の身元なのだ。
そして2人は、鉄のセキュリティ規律を決めた。
「パスワードや重要な鍵を入れる画面には、リンクや掲示板から絶対に入らない。そして、親しい人や上司の顔や声で急かされたときほど、一度立ち止まって別の確実な手段で本人確認を取る」
操船鍵は直ちに暗号更新され、二重の生体認証プロトコルが設定された。認証方式と多要素セキュリティ星間航海士の手引き 26