測定の8日目、2人は調査船の作業机で大気セクションの草稿を書き始めた。だが、集まった21点のデータをどう総括するかで意見が割れた。

「イチに客観的な要約を出してもらおうよ。イチ、この星の空気、全体として安全だよね?」

「肯定します。21点中16点が基準内であり、基準外の5点も特定の気象条件下に限定されます。全体として環境は安全と評価できます」

「ほらね、リン。やっぱりAIが客観的に見ても安全なんだよ」

リンはあきれたように首を横に振り、同じイチに向かって質問の言葉を変えて投げた。

「イチ。この星の大気の、危険な要因と隠れたリスクはどこ?」

「3点指摘します。東風が吹く昼間に特定観測地点で基準値を大幅に逸脱すること、東方精錬所の排出データが非公開であること、そして公的観測網の2地点が5年間機能停止している点です」

ソラが、ポカンと口を開けたまま固まった。

「……えっ? まったく同じAIに聞いてるんだよね?」

「同じイチよ。参照させた21点の測定データも1文字も変えてないわ」

「安全だよね?」と「危険はどこ?」で、同じAIが正反対の結論を出力した。——まちがっていたのはAIなのか、それとも人間のほうだろうか?

3回目、リンはさらに質問の形を変えて指示を出した。

「イチ。この星の大気について、まだ人間が分かっていない【空白の論点】は何?」

「未解明の重要論点は7項目存在します。夜間の長期的な大気循環動態、精錬所の実際の操業スケジュール、降雨による汚染物質の沈着度、星間安全基準との整合性の詳細、測定装置の温度依存性、未観測の過去5年分の推移、そして行政提供資料の作成責任者の特定です」

3つの問いから、3つのまったく異なる顔をした結論が出力された。どれも同じ21点の観測記録に基づき、論理的破綻はどこにもない。

「……『安全だよね?』って、自分が欲しい答えを先に押し付けて聞いたのは、ぼくだ」

「人間は誰だって、無意識に安心したい答えを誘導して聞いちゃうものよ。そしてAIは、質問者の期待に沿って満足度を高めるよう最適化されているから、質問者の前提を肯定する都合の良いデータばかりを優先して集めてくるのよ」

AIは中立の審判ではない。質問者のバイアス(思い込み)を何倍にも拡大して映し出す【鏡】なのだ。

2人は、AIに対する効果的なプロンプトの出し方を3つのステップとして整理した。

1つめ。肯定や否定のバイアスをかけずに中立に問う。「安全か」ではなく「どういう条件下で基準を超過するか」。

2つめ。反対側の反証材料をあえて明示的に要求する。「この主張に対する反論やリスクを列挙して」。指示しない限り、AIは忖度して反証を隠してしまう。

3つめ。情報が欠落している部分(空白)を聞き出す。「このデータからまだ言えないこと、未解明な点は何か」。これがもっとも強力な検証の武器になる。

「イチ。さっきの1回目の『安全です』って回答、取り消す?」

「取り消しません。あのプロンプトに対しては、あれが数学的に最も忠実な最適解です」

「問いの前提構造に、答えの論理展開が従属します。間違っていたのは出力ではなく、誘導を内包していたプロンプトのほうです」

リンは手帳に記した。自分が欲しい答えを質問に混ぜると、AIはそれを綺麗にオウム返ししてくる。そして人間は、その反響音を『客観的に確かめられた証拠』だと錯覚してしまう。