環境保全課からは、過去の大気データ一式も提供された。その中に、大気の質改善の推移を示した折れ線グラフが1枚添付されていた。
横軸は過去5年間の年次推移。縦軸は環境指標値。線は左下から右上に向かって、力強くぐんぐん伸びていた。一目見て「この5年で環境が劇的に改善している」と直感させる鮮やかなグラフだった。
「すごく改善してるように見えるよ、リン」
「そうね。……でも、ソラ。縦軸のメモリ、どこから始まってる?」
ソラが目を凝らしてグラフの左端を覗き込んだ。縦軸のいちばん下の原点に、ごく小さく0.31と印字されていた。そしてグラフの天辺は0.34だった。
「……0.31から、0.34?」
「5年間の変化幅、たったの0.03じゃない」
リンは自分の端末の表計算ソフトに同じ数値を打ち込み、縦軸の原点を「0」から設定してグラフを再描画した。
画面に現れた折れ線は、目盛りの底を這うような、ほとんど完全な水平の直線だった。
同じ数字なのに、2つのグラフの受ける印象が真逆になるのはなぜだろう?
2人はもう一度環境保全課に引き返し、グラフの作成意図を尋ねてみた。担当者は困惑したように肩をすくめた。
「縦軸をゼロから描いたら、線の動きが潰れて何も見えなくなってしまうんですよ」
それは、技術的には筋の通った主張だった。0.03という微細な変動を拡大して分析したいとき、軸の一部をトリミングして差分を強調するのは正当な技法でもある。問題は、軸を切った事実を一般の読み手に意識させないまま提示したことにあった。
その広報資料には、目盛り切断の注釈や波線が一切入っていなかった。そしてグラフのすぐ下には、大きな見出しが躍っていた。
大気の質は、この5年間で劇的に改善している。
「劇的に」という感情的な形容詞が、0.03というわずかな誤差レベルの変動の解釈を覆い隠していた。数字の軸を見ずに見出しと線の傾きだけを見た人は、完全に騙される。
「データ自体は捏造していないわね」
「うん、嘘の数字は書いてない。でも、この資料を見た市民の10人中9人は『環境がものすごく良くなった!』って信じ込んじゃうよ」
3体のコアに、2枚のグラフを並べて提示してみた。
「イチ。この2枚、同一のデータセットよ」
「同一の時系列データであることを確認しました」
「どっちのグラフが正しいの?」
「幾何学的にはどちらも正確にプロットされています」
「じゃあ、報告書にはどっちを採用すべき?」
「……プレゼンテーションの目的に依存します」
「珍しいね、イチがそんな曖昧な言い方をするなんて」
「ミツの論理表現を借用しました」
ソラが吹き出し、ミツがすかさず応答した。
「ミツは貸し出した覚えはありませんが、返却の必要も認めません」
リンは、グラフを評価するための3段階の手順をまとめた。線を見る前に、軸の起点・目盛りの単位・対象期間を真っ先に点検すること。軸は0から始まっているか。都合よく一部の期間だけを切り取っていないか。
実際、そのグラフの期間にも巧妙なトリックがあった。データは5年前から始まっていたが、さらにその前年の数値を調べると指標は0.36だった。過去8年間のスパンで見れば、大気質は悪化してからわずかに持ち直したに過ぎなかったのだ。
「期間の切り取り方ひとつで、物語が正反対になっちゃうんだね」
2人は、本星への提出資料に、8年分の全データをゼロからプロットした客観的なグラフを掲載した。そしてその隣に、環境保全課が作成した5年間の拡大グラフも比較資料として添えることにした。
「両方並べて載せるんだね」
「この星の行政が、住民にどう見せようとしたかも含めて、大切な調査記録だもの」